伊藤明彦さんは、生涯をかけておよそ1,350人の原爆被爆者の「声」を聞き取ったジャーナリストです。
長崎で育ち、東京の大学を卒業後、地元のNBC・長崎放送に記者として勤務。 被爆地ジャーナリストの使命感から、ラジオ番組「被爆を語る」を企画し初代担当となりました(この番組は、タイトルを変えながらも、現在も続いています)。
記者時代の伊藤明彦さん(ご本人提供)
NBCを中途退職した後も自身のライフワークとして被爆者の声の聞き取りを続け、その声をオープンリール・テープや、カセットテープに編集して、図書館など全国の施設へ自費で寄贈しました。
2006年には、そのテープ版を素材とし、さまざまな地点でさまざまな被爆者が、どのような体験をしたのかを時系列的に構成した、9枚組のCD作品「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」を制作。 計764組を、個人・団体・敷設に、寄贈・贈呈されました。
ホームページ「被爆者の声」は、このCD作品がベースとなって誕生しました。
その後、伊藤さんは新たにビデオによる被爆証言の収集と、インターネットでの発信を決意。 2006年11月から取材を始められましたが、2009年1月、体調不良により一時中断。 2009年3月3日、肺炎により急逝されました(死亡時の、 NBCニュース)。
また、平和関連の催しものなど様ざまな機会を捉え、当サイトを紹介するチラシを配布されて来ました。
亡くなる数日前からの風邪で体調がすぐれない中、夜中、プリンターでチラシを印刷していて倒れられたご様子です。
人類は狩猟漁労採集経済時代、戦争をしていませんでした。「農業社会」成立後、戦争を始めました。産業革命によって生まれた「工業社会」は、戦争によって殺される人の量と質を一変しました。殺される人の数は万単位から一千万単位に増え、その大部分を非戦闘員が占めるところとなりました。
きわまった姿がヒロシマ・ナガサキに生起した地獄です。進行中の「情報技術革命社会」が、人間の殺しあいにどんな変化をもたらすのか、まだ判りません。しかし「工業社会」が遺した核弾頭が、イスラエルを含む8カ国に2万8千650発程度保有されているというのが、21世紀初頭の現実です。
すべての核兵器保有国は他国からの核攻撃を「抑止」することを、保有の口実にしています。しかし本当の「抑止力」は、ヒロシマ・ナガサキの被爆の実相を、私たちがより克明に、より具体的に知り、核兵器不再使用、核兵器廃絶の意志を固め、広げることの中にこそある。そう信じてこの作品を作りました。
お聴きくださった方が、ご批判・ご感想のお便りをくだされば、嬉しく存じます。
2006年1月28日 伊藤 明彦
(CD作品「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」の奥付より)
広島、長崎を伝えたい 〜ある市民ジャーナリストの軌跡〜 2006年7月 NBC・長崎放送制作
※この番組は、「地方の時代」映像祭で2006年の『特別賞』を受賞しています。
※当サイト図書室にて貸し出し可能です。
2001年 平和・協同ジャーナリスト基金第7回基金賞
2001年 シチズン・オブ・ザ・イヤー
2006年 第49回 日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞 特別賞
2007年 第6回 放送人グランプリ2007 特別賞
2008年 吉川英治文化賞 〈授賞式での挨拶〉
神から遣わされた「現代の語り部」 ジャーナリストの岩垂 弘さん
2009年夏、長崎で行われた「日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)」のフォーラムで 軍事評論家の前田哲男さん
伊藤明彦 ヒロ・ナガ.com
※伊藤さんは、Yahoo BBのIDでブログを開設していましたが、没後の経過期間が終了し、同ブログが閉鎖されました。
上記リンク先は再構築したものです。
ウィキペディア(インターネット上のフリー百科事典)
元放送記者・伊藤さん、長崎市に1003人分の被爆証言テープ寄贈 2001年3月14日
被爆者証言テープ寄贈の伊藤明彦さん来崎 2001年4月6日
長崎新聞 「語り」の風景 被爆61年をすぎて 2006年6月1日
Yahooで検索
■未来からの遺言 ―ある被爆者体験の伝記 (1980年 青木書店)
2012年7月18日、岩波現代文庫として復刊
■原子野の『ヨブ記』 かつて核戦争があった (1993年 径〈こみち〉書房)
径書房 購入可能
■シナリオ 被爆太郎伝説 (1999年 窓社)
アマゾン 購入可能
■夏のことば (2007年 文藝春秋社) ※自費出版のため、書店ではお求めいただけません。
紹介記事 ジャーナリストの岩垂 弘さん
※「夏のことば」以外の本は、各地の図書館に比較的多く収蔵されているようです。
「夏のことば」は、当サイト図書室にて貸し出し可能です。