語り手 | 女性 (1889年〈明治22年〉生まれ) | |||||
被爆地 | 広島 | 被爆場所 | 広島市若草町・自宅庭先(爆心より2.3km) | |||
被爆当時 | 主婦 56歳 | |||||
お話をうかがった年 | 1973年 | うかがった場所 | 広島市 | 収録時間 | 1時間2分 | |
うかがった当時 | 84歳 | |||||
お話の概要 | 夫は8月6日朝、勤め先の広島県庁へ向かったまま行方不明。子どものいない『私』はひとりのこされた。拾った竹を杖に、広島市内・郊外の救護所を13日間捜しあるいた。 のち、住みこみの炊事婦をしながら働く。供養の日々のなかで、優しかった夫は、みほとけの生まれかわりであったとの想いがいつか生まれる。 84歳のおばあさんが、広島方言のモノローグで語りやまぬ、夫恋いのものがたり。 |
ブロック | 時間 | 書き起こし | 語り出し |
01 | 6:50 | 完了 | おばあさんは明治22年、1889年広島県山県郡の農村で生まれました。お話を伺ったとき84歳 |
02 | 7:30 | 完了 | で、近所の奥さんが仰ることに、はじめての○○の奥さんが、こんな飛行機見んさい、日本の飛行機 |
03 | 10:23 | 完了 | 畦も田の縁も道も、皆人だらけでしょう。なにから、東の方から皆いっとるんじゃけん。空いた縁 |
04 | 8:48 | 完了 | ところがそうしちゃおられんけ、ずっと私は駅の前から尋ねて、歩き○○ました。この、あすこが |
05 | 7:03 | 完了 | 考えてみりゃあ、はぁ、3日も食べられんのじゃけぇ、ご飯はよう食べてんでなぁ。ほいでまぁ、梅干し |
06 | 8:18 | 完了 | ご主人の行方はついに知れませんでした。おばあさんは、その後広島市内で住み込みの炊事婦として働 |
07 | 5:32 | 完了 | 被爆者のため思い立った募金行脚は、病気のため断念するほかありませんでした。この時、40数日入院 |
08 | 4:13 | 完了 | ご主人の恩給に認定被爆者の手当を加え、病院に通いながら細々と一人暮らしを続けてきたのがおば |
09 | 4:25 | 完了 | 苦しみ多い生活の中で、ただ忘れられないのは優しかったご主人のこと。 主人がかわいさ、主人が |