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書き起こし |
語り出し |
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4:28 |
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1945年8月。私は17歳の女子挺身隊員でした。前の年、女学校を卒業。広島市の西の郊外にある軍需工場で |
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6:42 |
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午前8時15分、地御前〈じごぜん〉村の工場で被爆。 私は事務でしたからね、軍需課っていう事務でした |
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8:43 |
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午前9時前、私は広島市の西の入り口に当たる己斐への道を急いでいました。 そいで、すぐ電車に乗って |
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5:49 |
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で、まあそうなると母は仕方がない、思って。妹はどうしただろうかと思いましてね。妹は西高等女学校 |
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9:26 |
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そこを出てね、どっかほかにないんですかって言ったらね、江田島がね、江田島の陸軍病院が、重傷の |
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4:37 |
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妹、千代子、8月7日午前10時15分死去。享年9歳でした。 死体はね、全部2中、第2中学校の校庭へ運ぶ |
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1:39 |
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恵まれた家庭で大事に育てられた17歳の私には、判断に余る出来事の連続でした。この3日間を私はほとん |
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4:15 |
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9日、広島市郊外の親類の家で、思いがけず父と巡り会いました。爆心地に近い部隊で被爆。重傷を負った |
09 |
4:13 |
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10日、父は再び部隊に去りました。数日後、私は、母方の叔母を頼って大阪に向かいました。健康に異常 |
10 |
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広島の親類から父の危篤、死去を知らせる電報や手紙が届いていた頃、私は大阪で生死の境にありました |
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4:47 |
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私はひとりぼっちになりました。翌年5月、大阪の叔母の家を出て一人広島で下宿。広島市役所に勤務。 |
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3:37 |
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その後、3人の男の子に恵まれました。理解ある夫の庇護の下で幸せな家庭生活ですが、被爆の傷が癒える |
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8:04 |
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63年。夫の転勤に伴って東京へ転居。私は父が亡くなったときの年齢を超えました。しかし、身近な人々 |