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証言385 | ことば | 原水爆は許さないという運動を続ける | 当時16歳 |
夫婦とも被爆者ですから。彼女が身籠もった時に、
はたして五体満足な子供が産まれるだろうかと、
それがいちばん心配だった。
おかげで五体満足に生まれたんですけれど、8カ月の早産児で、
小学校の時は、もう病太郎でどうにもなりませんでしたけど。
中学校でもそうだったし、高等学校に入って
ようやく身体が当たり前になってですね。
東京で結婚して、2人、男の子をもって…、小学校の。
もうすぐ中学校に入りますけど。
次男坊は、こんど5年生になるんですかね。だから本当、親子、孫、3代。
原水爆禁止の運動続けにゃいかんと。
3代にわたってですね、孫にも言い聞かせておりますけれど、
原水禁世界大会にも我々の孫を連れてね、
息子は東京から参加してくれるんですよ。
私たちはこれから先ずっと親子、孫、3代にわたって、
原水爆は許さないという運動を続けるつもりでおります。はい。