私どもカトリックというものは三百年の間もですね、
いろんな弾圧を受けながらも、やはりほんと神様というものを
本当に心から認めておったればこそ、地下に潜ったり、
そしてずっとその信仰を守り続け、その間、神父さまがおるじゃなし、
何の教えも聞くじゃなかったけど、
その「たましいからたましいに受け継がれたその神様の愛」というものは
ずっと続いておっただろうと思うんですよね。

そして耐えしのんで、どうやらこう普通の暮らしができるようになった時に
またこうして大きな試練を受けたということ、
しかもそれがまた私たちの浦上うらかみにまた下されたと言うこと、
これは私はね、やっぱり大きなお恵みを神様がくださった。

そうした私達が大きな試練というかお恵みというか、
それを受けてそれを耐えしのんでいくことによって、
世界の平和がほんとに達成されるとなれば、
ほんとに死んだ方たちも「ってめいすべし」と
申しましょうか、本当に天国でね、『ああ、よかった』と
お思いになってくださっているんだろうと思うんですよね。
信仰者の気持ちとしては、そういうところでございますよ。

日本二十六聖人殉教碑 伊藤明彦 撮影 

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