そりゃあ、ただ迷惑をかけたというだけじゃないけん。 あの長い間にね、シナの国民を痛めつけて痛めつけてね、 どれだけ荒らしまわったかわかりません、これはね、 なんぼ詫びても詫びきれるものじゃなかろうと私は思いますが。
私はずうっと、武漢三鎮〈まで行ったんですがね。 それから南京〈なんかの状態なんかを見ますとね、 『チャンコロ(中国人に対する蔑称)が』ということでね、 人間のうちに入れとらんのですけんのー。 軍刀の試し切りをやってみたり。
それからまた作戦に行って 日本の兵隊はもう悪の限りを尽くしとるんじゃけんなあ。 女の子を、こう、引っ張って来ちゃあ、もうおもちゃにするんじゃのー。 あれで罰〈があたらんいうのはね、ないですよ、 これは人間わざじゃないですけんのー、無茶やるんですけん。 まあ全く支那〈人はべっぴんが多いですのぅ。 作戦に行っちゃ女狩りをして、帰って手柄話というのは何かいうたら 女の話ばかりしよるんですからのー。 いよいよありゃいけん。 今、日中国交回復言うてね、詫びて詫びれるはずがない。
私という業〈の深い人間はとてもじゃないその尋常〈一様ではね、 死なれるような問題じゃなかったと。 親に対しても不孝の数々を重ねとりますし、 戦争中も支那〈・満州〈方面を駆〈けり回ってね、悪の限りをしたものが 今生きておられるということはね、 何かそのまだ償〈いとしてやり残した仕事があるんじゃなかろうかと。
原爆や恐ろしい目にもたくさん遭いましたが、 そういうことが私の経験として良かったと。 原爆…、原爆病で苦〈しんどっても生活を正しさえすれば、 病気というものは即座に治るもんだということをね、 今は私はもう商売みたいにそれを言いよるわけですね。 一心にね、やりさえしたらね、 誰でも健康になれるということが分〈かってきたですね。 これは大変な教えがあるもんだと。 |