私が専門が物理なもんですから、
原子爆弾そのものに内容的には普通の人に比べて、
比較的詳しく知ってる立場でありますし、
それに私の場合には直接、感覚的にもそれを経験したわけなんで、
両方の意味で原子爆弾というものが現れたことの意味ですね、
これはまあ非常に考えさせられましたですね。

人間の社会の動きというものは、
必ずしも理性的には動かないものなんですね。
非常に奇妙きみょうな政治の自身としての運動があったり、
また兵器を造りますと兵器自身の物としての
ロジック(論理)と運動があるんですね。

そういうことの怖さを感じますと、
『人間がああいうことをやってて遂に自滅に至るんだ』ということに
気付く前に、そういう自滅的な戦争が起こらないで、
間に合うだろうかどうだろうかですね。
多少楽観的に過ぎるかもしれないけど、
つフィフティーフィフティー(半々)位が生き残れるかどうかという点、
楽観的に見てもフィフティフィフティー位にしか考えられない。

リトルボーイの内部構造図解(広島平和記念資料館 提供) 広島大学本部 伊藤明彦 撮影 

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