子供が生まれるけ、来てくれ言うて呼びに来ますでしょう。
どこで生まれるか言うたら、
今の鶴見町つるみちょうの焼け跡に居るんじゃ、言いますけ。

いうた所が、行くだけのことで、
消毒薬がひとつあるわけじゃございません、
はさみ一丁あるわけじゃなし、糸がひとつあるわけじゃなし、
もうなんにも、綿もなんにもないんですからね。
風を防ぐために、屋根にむしろみたいなものがあって、そこでですけんね。
どうにもなりませんですよね。

まあ、ほんの行って介添かいぞえするだけのことです。
そして、介助してあげて、バケツの焼けただれやなんかでお湯沸かして、
そして、ようよう赤ん坊だけは洗ろうてあげたんですけど、
あとの消毒することも、どうすることも出来ませんで。
そいじゃ人間というのはああいう時は病気も起こらないもんです。

目覚町付近のバラック(小川虎彦 撮影/長崎原爆資料館 所蔵) 

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