早く言えば倉庫みたいなとこでしょ、
ただ、だから、屋根があって柱が立つとる
いうだけのとこですよね。
ほいで、私のおばあさんがね、何いうことなしに
蚊帳かや」持って出とったんですよ。蚊帳かやをね。
その蚊帳かやが結局、「家」でしてね。
ほいで、薮蚊やぶかにも刺されませんしね、

そいで、私らも怪我けがしておりましても、あの、
うじも湧かずにすんだんじゃろう、思うんですよね。
着るものいうても「ない」ですしね。
まぁ、背中が焼けとりますから、着られもしませんしね。

鍋釜ないですからね、どっからか、カンカン(空き缶)拾うてきて、
それで、芋の茎やらね、なんかこう、きましてね、
昔のその、それこそ原始時代の生活ですよねぇ。

目覚町付近のバラック(小川虎彦 撮影/長崎原爆資料館 所蔵) 

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