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証言305 | 8月中旬以降 | 野戦病院の方が平穏でした | 当時26歳 |
もう、その日から治療ばっかりですよ。
治療〈いいましてもあなた、衛生材料がそう十分にありませんからね。
赤チン塗ったり食用油を塗ったりする程度ですよね。
来て直ぐ亡くなる方もありますしね。
そして、もう、どう言ってか、狂騒状〈ですか、
あのおらんで、おらんだり、叫〈んだりする人もあるし。
ほいか、ただ、だまーって寝よって何時死んだか
解らんような人もありますしね。
もう全身火傷〈で手の着〈けようのない人もありますしね。
(従軍看護婦の経験がありましたが、)むしろ中支〈(華中〈)の生活いうたらひどう、
ま、作戦があれば患者もどんどん帰ってきよりましたけど、
後先はひどう、そう、原爆みたいなことなかったですから。
内地の方が酷〈くて、あの野戦病院とか兵站〈病院の方が
そりゃよっぽど、あの、平穏でした。
もう、そりゃお話になりませんよね。ええ、地獄の絵巻ですよね。