『お水ちょうだい、助けてちょうだい、
お水ちょうだい、痛いよー、痛いよー』言うてね。
毎日、毎晩、そのうめき声ばっかりなんですわ。
で、もう、ひどい人なんかどうしようもない。
お医者さんも手のくだしようがないような人もたくさんありましたね。
で、ぼつぼつぼつぼつ亡くなって行きました。

その時には『お母さーん、お母さーん』言うてね、言う人もあるし、
みんなが先生、先生言うとったもんですから
『先生ありがと、先生ありがと、先生ありがと』言ってね、
亡くなっていった子もおります。

それからあの『お水が欲しいのよ、お水が欲しいの、
死んでもいいからお水くれ』言う人ね。
その人なんかもう、間無しに死ぬる人なんです。
考えてみりゃ死にましたけどね。
そういう人に、あの、綿につけてちょっと含ましてあげたりね。

それからね、決まって、あの、誰か亡くなるとね、
あの『あ、あれがもう死んじゃった』言ってね、
その周りの人が言うんですわ。
そうすると決まって、あの、また近いうちに亡くなるの。
人が死んでいくと周りの人ものすごく寂しいんだろうなあ
いうような感じ抱いたですね。

屋外の救護所で手当を受ける人々、手当する人(松添博 画/長崎原爆資料館 所蔵) 被爆者の絵・血とうみの臭いがただよいウジが負傷者の体をはいまわった。(沼田鈴子 作/広島平和記念資料館 提供) 

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