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証言291 | 8月17〜18日 | 合掌して長時間で焼き | 当時50歳 |
私の娘も時間経つに連れて顔半分が粟粒ほどの出来物がでて、
妻も母も同じく黄色い粟粒〈がでて、以後、食事、茶水、
受け付けぬ状態となり、8月17日と18日に死亡しました。
長崎市の警察官が出張してきて検屍〈証明を発行して下さいました。
死体は爆風〈でしわくちゃになったトタンをしわを叩〈き伸ばして、
その上に家族3人を並べて、布団〈を着せて、
疎開〈の材木(建物疎開〈の廃材)を積み上げて、
合掌〈して長時間で焼き、友人宅の箪笥〈の引き出しの板をはずして、
骨〈入れの箱を作り3人分一緒に入れて
田舎〈の兄弟の墓地を借りて葬り…。