私と他の若い看護婦さんと二人で宿直してましたら、 後の看護婦がね、「モヒ(モルヒネ)」これは麻薬〈ですけども、 それと注射器を持って集まってきたんです。 それで日本が負けて捕虜〈になるのは恥ずかしいから 悔〈しいからこのまんま注射器を打ち合って みんなで死にたいって言ってきたんですね。
それで私は、みんな死ぬことはそんなに早まってはいけない。 今、広島では戦争が終わったんじゃなくて ほんとに原爆で戦争が始まったと同じ事で、こんなに患者さんが たくさんいて、みんなの手が一人でも欲しい時にそんな事したら 誰だって喜ぶわけじゃないから、死ぬことはいつでも死なれるんだから、 とにかく今、目の前の患者さんのこと、看護するのが一番のみんなの 勤めなんだっていうことで励まして思いとどまらせたんですけれども。
その当時っていうのは、とにかく、あの私は今でも戦陣訓〈の一条ってのは すらすらと言われるんですけどもね 『生きて虜囚〈の辱〈めを受けず、死して罪過〈の汚名を残す事勿〈れ』 というのは捕虜〈になることは絶対いけないことで 敵に捕虜〈になったら帰されても自決〈すれ(せよ)。 これはもう軍隊の常識だったわけですね。 ほんっとに私どもは小さいときから死っていうものを美しいものとして 天皇陛下のために死ぬことが最高の名誉で美しいことだっていうふうに 思いこまされてきましたからね。 |