十四日の午後、もう二時頃でしょうか、 あー、木炭バスが一台来て、えー、横断幕が張ってあって、 『口伝報道隊〈』とまあ、墨痕〈鮮〈やかに書いてあるわけで、 『これに乗ってくれ』という事。
最初に着〈いたところが、八坂町〈の清水〈神社ですか。 ここに連れて行くと。『ほう、こんな所に人間が居るんだろうかなあ』 と、思って見たところが、その、長い坂段を登って、 えー、この神社の裏っかわに、もういくつも横穴防空壕〈が掘ってあって、 我々の隊員なんかがメガホンで、 『唯今から口伝報道隊〈の報告がありますから、 お集まり下さい』と、まあ、おらんだら(叫〈んだら)、 三々五々〈、百人近くでしょうか、の人達が集まって来ましてね。
それで、えー、私も地図なんかを用意しまして、 満州〈から朝鮮〈附近の地図を指差しながらですね、 まあ、当時の官製ニュースでえー、 朝鮮〈軍以下ですね、満州〈その他〈でも、関東軍〈は頑張っているんだと、 どうぞ皆さんひとつ最後まで戦いましょうと、 いうようなことしかまあ、言えないんだから。
ああ、嘘っぱちかもしれんけれども、 そういうこと喋〈って、まあ、第一回の清水〈神社を済ました。 そしたら、みんな本当にですね、えー、九日の原爆以後、十三日まで、 横穴で毎日を過ごしてね、不安に慄〈いている市民ですからね、 僕らがまあ、防衛本部の報道班員という腕章を見てね、喜びましたね。
えー、『どうでしょうか』と、『日本は大丈夫なんでしょうか』ということを 僕らにね、縋〈りつくような目で聞いてくるんですよ。で、まあ、 『今こういう状態なんだから、みんなね、最後まで頑張るんだ』と… |