死体収容は一番最初は、もう、あの、県道ですね。 道路の死体をまず一番先に処理したですもんね。 それから、川の中、溝〈の中、それから防水壕〈、 ま、水のある所の死体をまず先に処理したんですが。
それこそ道路の真ん中へ壊れた家の柱持ってきて、 積み重ねて、そこへ死体、積み重ねて焼くと。 それが済んで、まー、潰〈れた家の下敷きになってる人とか、 それからあすこに浦上〈の刑務所がありましたもんね。 刑務所の死体が、あれが、まー、3日位かかりましたでしょうね。 それから、あのー、学校。先生、生徒の死体。 もう、それこそ悲惨〈なものでしたよ。
それから最後には、もう、こんだ(今度は)山の中の捜索でしたね。 稲佐〈側の方の死体も相当ありました、山ん中に。 だけど一番多かったのが大学病院から裏手の山、 お諏訪〈様にかけて、諏訪〈神社の向こうに細道がありますもんね、 あそこの方の山が一番酷〈かったです。
だから、約6,800ほど自分達で確認してるんですがね。 その中で身元の判ったってのは殆〈どありませんでした。未だに無縁仏〈。 |