人の、死人のね、山のように、こう、こういう風で、 焼かれてあるのを見ても、そしてそこで、 『もう行き来らん』て、『もう行き来らん、 私はもうここで死んでいっちょく(諦めて死ぬ)』って言うて、 主人も言うてね。 『もうこの火の中ば、どうして行かれるね』って言うて、 『しかたなか、ここで死ぬとね、あなたお父さん』って言うたら、 『死なんば、しようのなか』って言うてですね、言うとったけども。 私は、その、小学校に行く息子が、 『お母さん、我慢〈だしてよ、お母さんの死ぬぎ(死んだら)、 だめよ、だめよ』言うてね、 一生懸命〈私を、こう、かばってね、そびいて(引っ張って)ね、 抱〈えたごとして、ずーっと、一寸〈ずつ歩いて、行って、 よー無事に着〈いたと思いました、私の国(田舎〈)まで。
そして、山の中ばずーっと通って行った。行く時は、山の中に、 顔のこう腫〈れた人のね、倒れそうになっておって、 またその人達にも言葉ばかけてねぇ、 『お互いに頑張りましょう、頑張りましょう』って言うて、そして行って。
そしてそれからずーっと行きよったけど、 また飛行機が飛んで来てですね、そいでもう転んどったですよ、 『仕方なか、死ぬとじゃろうね、私たちは』って言うて。 朝の5時半頃からずーっと、死人超えて、そのなんして、 そして、『しようのなか、いつまでこうしとっても同じだから、 一寸〈ずつでも五分〈ずつでも、歩いていかんにゃできんたい』って言いよったら もう、水が欲しくてたまらんで、誰も飲ませてくれる者もおらずですねー |