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証言253 | 8月12日頃? | 殺してあげなきゃならない | 当時19歳 |
行きましたけどね、まあ手につかないんですよ。
家は壊れてるし、まだ燃えてるし。
道端でね、物の下敷きになってる人がですね、
『助けてくれ、助けてくれ』とおっしゃるわけですね。
私たちが兵隊さんに見えたんでしょうね。
ゲートル巻いて、菜っ葉服着て戦闘帽かぶってるんですから。
『兵隊さん水、水』って、みんな言われるわけですよ。
ヒョッと飲ましてやりますとね、
「ゴクッ」といってそのまま息絶〈えるわけですね。
いわゆる末期〈の水というのを私初めて知りました、それで。
体力が弱ってるのに水をやったら飲み下ろす、嚥下〈する力が無いんですね。
だからここで瞬間、窒息。いわゆる安楽死ですよ。
何十人位送ってあげたでしょうかねぇ。
で、比較的まだ元気そうな人を見つけて引っ張り出そうと思って、
手を握ったら、はっとね、皮がプルッと取れるんですよ。
最初は手が抜けたかと思いました。ズルッと皮ごと取れてくるんですね。
もう目を背けるというのか、もう仕方ありませんからね。
水を取り出して、水を差し上げて、
あの世へ送ってあげる以外に方法無かったんですね。
本当ね、自分たちで掘り出して、自分たちでね、露骨な言葉で言えば、
「殺して」あげなきゃならない。ね?
爆心地の土地の整理だという目的で行ったんですけどね。