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証言250 | 8月11日 | 阿鼻叫喚というか生き地獄というか | 当時38歳 |
ところが全く焼け野が原だから、
家の目標がちょっと見当が付かんわけですね。
家野町〈からずっと城山〈へ行く途中は人は死んどるしですね、
馬は死ぬし、そして負傷した者がウーウー言っとるしですね。
そのまた死に方というのがですね、だいたい人間…、
死ぬ時は手を合わせるはずだけども、
手を組んだ(りした)人はみんな手を握りしぶってですね、
腹は大きくふくれて、おるわけですね。
それを見た時に、
いかにこの爆弾が残虐性の
爆弾であるかということを、感じたと共にですね、
いかに死にたくなくて死んだかということをつくづく感じた。
そして負傷しとる人がそこらに、何十人何百人じゃきかんでしょうね、
それを見た時にですね、私は本当にこういうことが阿鼻叫喚〈というか
生き地獄というかですね、そういうことを肌に感じたですね。
そして大橋〈を渡って浦上川〈に行くともう、川の中にゴロゴロ死んどる、
唸〈っとるですね。