下をすぐ、砲台山ほうだいやまは中腹に在りますからね、ずっと見渡すと、
もう、どんどん、どんどん、火がもう、燃え移って来て、
どんどん、どんどん、どんどん、どんどん、
あっちもこっちも、あっちもこっちも、燃えてしまう。

銭座ぜんざ小学校からは、コンクリートの建物だったですけれども、
教室がどんどん焼けて燃えて、赤い火が窓からずっと、
あたり一面を照らすような形で燃えてしまう。
周囲は、ほとんどの所は火で燃えてしまう。ちょうど、浦上うらかみ一帯が、
釜の下でまきを燃やしとるような、そういう状況ですね。
あっちもこっちも、あっちもこっちも、そして、一斉にどーっと、
もう浦上うらかみ一帯が焼けてる、と。こういう状況のようでしたね。

夜中になるに従って、どんどん、どんどん、どんどん、どんどん、
あっちも、竹の久保たけのくぼも、浦上うらかみも、山里やまざとも、城山しろやまも、ちゅうようにですね、
どんどん、どんどん燃えてしまう。あと残っているのは、
いわゆる浦上川うらかみがわを挟んだ、三菱製鋼せいこうとか、あの辺の近くの工場が、
燃えずにそのまま残っていると。

砲台山ほうだいやまに来る…来た人達は、兵隊さんもおりましたし、
一般の人達もおられましたけれども、ほとんどがキズをいまして、
『ウンウン、ウンウン、ウンウン、ウンウン』うなっておられる、と。
生き残ってる者は、これだけじゃないかと、そういう気持ちですねぇ。
もう日本全部がなくなってしまったんじゃないかと。

被爆者の絵・炎上する街、工場と橋、川の中の遺体(長崎原爆資料館 所蔵) 

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