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証言225 | 8月9日 深夜 | 生き残ってる者は、これだけじゃないか | 当時16歳 |
下をすぐ、砲台山は中腹に在りますからね、ずっと見渡すと、
もう、どんどん、どんどん、火がもう、燃え移って来て、
どんどん、どんどん、どんどん、どんどん、
あっちもこっちも、あっちもこっちも、燃えてしまう。
銭座〈小学校からは、コンクリートの建物だったですけれども、
教室がどんどん焼けて燃えて、赤い火が窓からずっと、
あたり一面を照らすような形で燃えてしまう。
周囲は、殆〈どの所は火で燃えてしまう。ちょうど、浦上〈一帯が、
釜の下で薪〈を燃やしとるような、そういう状況ですね。
あっちもこっちも、あっちもこっちも、そして、一斉にどーっと、
もう浦上〈一帯が焼けてる、と。こういう状況のようでしたね。
夜中になるに従って、どんどん、どんどん、どんどん、どんどん、
あっちも、竹の久保〈も、浦上〈も、山里〈も、城山〈も、ちゅうようにですね、
どんどん、どんどん燃えてしまう。あと残っているのは、
いわゆる浦上川〈を挟んだ、三菱製鋼〈とか、あの辺の近くの工場が、
燃えずにそのまま残っていると。
砲台山〈に来る…来た人達は、兵隊さんもおりましたし、
一般の人達もおられましたけれども、殆〈どがキズを負〈いまして、
『ウンウン、ウンウン、ウンウン、ウンウン』唸〈っておられる、と。
生き残ってる者は、これだけじゃないかと、そういう気持ちですねぇ。
もう日本全部がなくなってしまったんじゃないかと。
砲台山:金比羅山の一部で戦時中高射砲陣地があった山、金比羅山の頂上から長崎駅方向に200〜300mの地点