もう、生きるという望みは、もうなかったですもん。
こいでもう人生が終わるという感じ方じゃなかったっでしょうか、
そん時は。やっぱり、カトリック的な教育ありますから。はい。

もう、こいで、行くところに行けるんじゃなかか、ちゅうような、
本当にもうその、おじの悲惨ひさんな姿して、帰りがけにちらっと見た、
その、記憶の中に残ったような、無惨むざんな姿を見てですね。
世の終わりっていう感じ方ですね。

普通は祈りをします。毎日、朝晩の祈りね、そらぁしますけれども、
その時は祈りする気力もありませんでした。もう、祈りも何にも忘れました。
父が『祈りばしゅうで(しょうよ)』って言うてくれたです。
『はい、天にまします』までは言うわけですね。
もうその先は、『あそこは燃えよっ』とか…、祈りにならんです。
なりませんでした、本当に。
人間じゃなかったですね、本当に。牛や馬と一緒、と私は…

鼻が欠けたヨハネの顔(浦上天主堂) 伊藤明彦 撮影 

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