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証言209 | 8月9日 午後 | また国のために働きます、助けて | 当時29歳 |
特別救護隊員に集合命令がかかったので、私達は、「救護隊員」
と書いた赤タスキをかけて巡査部長、10数名集まった訳〈です。
私と、同僚の巡査部長1名は、『君たち2人は、今からすぐ、
長崎駅前から、道ノ尾〈付近まで、列車と車両が
通行できるかどうか、すぐ報告してくれ』というような命令を受けました。
その頃まだ、ロッキード(P38。アメリカの戦闘機。艦載機ではなく、
硫黄島〈基地の陸上機)など長崎上空を飛び回っており、
私は、これは決死の仕事だと思ったとたん、一瞬身震〈いがした訳〈です。
当時私達は、地下足袋〈に黒いゲートル、黒く染めた夏の制服を着て、
短剣を下げた姿でしたが、まだ燃え続けてくすぶっている
市街地を出発した訳〈です。
「井樋の口〈」(現在の銭座町〈)を少し出たら、市街地は完全に燃えつくして、
本原町〈の丘まで一望に眺めることができました。
負傷者は、周辺に何千人と蠢〈きあって、焼け残った電車の中には、
腰掛けたまま焼け死んだ人が、そのままの姿勢で並んでいるのが、異様〈で、
爆発の凄〈さが、はっきり、認められました。
このような電車は、その付近に6台か7台あったと記憶しております。
それからそのままずっと通って行った訳〈ですが、その途中には、
負傷者があちらこちらに、火傷〈にあえいでおって、『警察の人、助けて下さい』
『治ったら、また国のために働きます、助けて下さい』と、
両手を合わせて、何回も拝〈まれた訳〈です。
私達2人は薬品を持っている訳〈じゃなし、
拝〈まれても、どうすることもできなくて、