これが焼けてね。
皮膚がね、ちょうど女の人が、ここに前掛まえかけしたごと。
皮膚がべらーっと下がって、
目ん玉ちゅうのは大きいもんですな、
こんげんなって目ん玉が飛び出とる。
方角がわからん、どっち行ってよかか。
そいから私は娘の子をね、じわじわ手引いて、ごうに入れて…。

とっとっとっと、とっとっとっと逃げ込んで来るとですよね、
何万ちゅう人間がそのごうに。
中へ押し込むけども、中は熱つうしておられん。

そしたらね、海軍の工作隊というのが裸で仕事しよったですな。
6〜7人、一人かかえて入って来たです。
痛いちゅうことで、ああた、こうしてもがく…。
私がこうして見よるとね、可哀想かわいそうにね、腹やられたとでしょうな、
皮膚はどうもなっとらん。その当時はね上等兵曹じょうとうへいそうちゅうとった。
上等兵曹じょうとうへいそうが)『何言うか貴様、帝国海軍ぞ、
このくらいのことでへこたれてたまるか〜』と、
おごらるる(叱られる)もんじゃから『くー』ってくるしむくるしむ。
10分ぐらいしたら、おとなしゅうなって死んでしもうた。

ほおぅ恐ろしいもんじゃなぁ、と。それからもう、浦上うらかみの私が居ったところは、
ガッガ、ガッガ、ガッガ、ガッガ燃え出した。こうして見たら、
県庁の窓からボンボンボンボン火の噴きよる。
県庁もいかれたばいねーと思うて。

被爆者の絵・炎上する被爆地(水江オケ・長谷川誠 画/長崎県被爆者手帳友の会 提供) 

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