…急いで駅長室に行きましたところが、
駅長室の2階がちょうど日本食堂になっとったわけなんです。
その日本食堂のところが、2階が崩壊ほうかいしまして、
駅長室の半分は、それで埋まっておりました。
それで、ひょっとするとこの中に怪我けが人が居りはしないか
というような感じがしまして、
ちょうど首席助役のところが真上でございましたから、
私は『首席助役、首席助役』ということを2〜3度喚呼かんこしましたけれども、
なんの応答はありませんから、
ああ待避たいひしたんじゃなあというようなところで、
自分の部屋に行きましたところが、駅長室の方は熱いんです。

もうなんだか、熱気が激しくして今にも自然発火しはせんか
というような状態でありました。それで初めて、
あっ、これは広島に落ちた爆弾と同じものだなというような感じがしまして、
一時、私としては恐怖を感じた次第でございます。

ところがもうその時、駅の前の駐在所、
それからそこの観光案内所もありましたが、
そういうところの家が火で燃えかかっておる。
そのうちに駅も2階の上に見張り所を作っておりましたが、
そういう見張り所に火が出まして、
それからまた上屋うわやひさしのところに燃え付くとか、
バケツ操作ではとても、駅の高い所には水は届かず、
とうとう延焼してしまったわけなんです。

それから、構内にある客貨車も自然に発火するんです。
どうしようも手のけようがない状態ではなかったかと…

被爆前の長崎駅(「長崎原爆戦災誌」第二巻/長崎市 刊より) 国鉄原爆死没者慰霊之碑(浦上駅前) 伊藤明彦 撮影 長崎駅構内「ながさき」 伊藤明彦 撮影 

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