それから、諫早の駅にもですね、 もの凄〈い負傷者が、プラットホームからなにから寝てると、 私は、衛生兵〈を一人連れて、長崎から行って、 諫早〈で待ってたんですけども、 プラットホームの上に、殆〈どもう、殆〈ど火傷〈ですがね、 火傷〈をした人間がまだ生きてて呻〈いてる訳〈ですよ。 ところがこれがまた、おかしなもんで、私は軍医〈ですからね、 あつ、これは火傷〈による脱水だということがいっぺんで分〈かった訳〈ですよ。
私は大声を立てましてね、 『この連中に水を飲ましてやれ』と言ったんですがね、 ところがこの命令がですね、何分か経ちますと 「負傷者には水を飲ませてはいかん」という迷信〈が 日本人の間にありまして、 いつの間にか水を飲ませなくなっちゃうんですよ。
夏の炎天〈の盛りで、火傷〈をしててですね、 脱水状態になっている患者をですね、 結局、早く言えば「民衆の迷信〈」が殺しましたね。 その時にですね、水はもうじゃんじゃん方々で出とりましたし、 小川の水だっていいんですから、そういうものを どんどんどんどん飲ませてやればですね、 私なんか相当助かったんじゃないかと思いますけど。
私がいくら声を大きくして叫〈んでみましても、これがその 末端の方に行きますと、負傷者には、火傷〈の患者には 水を飲ましちゃいかん、 重傷者には水を飲ましちゃいかんというようなことに変わっていって、 僅か私の周りの数人が水を飲むだけで、 後は『水を飲め』という命令が伝わらない…。 |