僕が乗ったのは一番最後の車両だったと思いますが、それはどうも僕は、
僕の記憶では貨車だったんですね。
そこに寝転がってるわけですね、そしてうめいてるわけで、
半殺しにされた豚が貨車に積み込まれてうなってると、
そういう、悲惨ひさんな状況だと思ったわけですけどね。

で、しばらく経って、列車がゆっくり動き出して、
そしたら、皆『水、水』と言うわけですね。
『水、水』とくるしい息をふり絞ってさけんでいるわけですけど、
怪我けがをした人間は水飲んじゃいかん』というふうに言われましたから、
駅の人たちは、水くれなかったですね。

結局、諫早いさはやいたんですが、諫早いさはやの駅では、連絡がついていて
婦人会の人たちが出迎えに来ておったわけですね。
我々被爆者が駅頭に降り立つと、我々を見たとたんに
やっぱり泣き出すわけですね、
本当にこの世の人間とは思われない悲惨ひさんな状況ですからね。
血だらけだし、泥だらけで、真っ黒になり、真っ赤になって、
ほとんど裸だし、皮膚がぎ取られていますし…

被爆者の絵・救援列車と群がる人々(長崎原爆資料館 所蔵) 諫早駅の表示 伊藤明彦 撮影 

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