私の家の前に行ったところが、驚くことには、
沢山たくさんの人が私の(家の)前で死んでおられるわけですね。
それで、家族の者の名前を呼んでみたけれども返事がないわけです。

そのうち私の家に火がついて、燃え出したわけですね。
ところがその時は西風が非常に強くて、私が東の方に立っておったから、
もう熱くて熱くて…。立っておられないわけです。

これはもう、一応待避たいひしなければ自分が焼け死ぬと、いうことでですね、
城山川しろやまがわを渡ったところが、渡ったところの家の中から
『杉本さん助けてくれ、杉本さん助けてくれ』とこう言うわけですね。
それで、もうその、身体も頭も見えとるけれども、家の下敷きですから、
自分の力じゃどうてされんわけですね。

『すぐ警防団けいぼうだん員を救護にやるから、我慢がまんして、がんばっといてくれろ』と、
言うて今度は城山しろやま小学校に行ったわけですね。
そして見たところが、城山しろやまの小学校の校庭は、
もう死人と怪我けが人の山ですね。

城山小学校の標識 伊藤明彦 撮影 嘉代子桜の碑(校庭の一隅) 伊藤明彦 撮影 原爆殉難者の碑(全景) 伊藤明彦 撮影 「城山は 人のいしずえ 平和の礎」 伊藤明彦 撮影 鳩と少年の像 伊藤明彦 撮影 

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