移動 ▽次 HOME【ナレーション】
この時を約1週間遡る8月8日夕刻 長崎県庁知事室にて
移動 ▽次 △前証言133 | 8月8日 夕刻 | 見た話、広島の新型爆弾 | 当時47歳 |
退庁時刻でした。 慌ただしく勢い込んで知事の部屋へ西岡さん(西岡竹次郎代議士) が入ってこられたんです。 その時まで私は、広島の新型爆弾のことについては、 ちょっと新聞に1〜2行出たのを、ちょびっと見ただけで、 全然知らなかったんですが。
西岡さんが『広島の新型爆弾というのは、あれは大変なことですよ。 実は、私は東京の帰りに、広島を徒歩連絡で、海田市〈かどっかで降ろされて、 あと徒歩連絡で、通過して、たった今、長崎の駅に着〈いたばかりなんだが、 大きな、両手で抱き回すような大きな木がぽんぽん折れておる。 鉄筋コンクリートのビルが、建物がみんな押しつぶされる』というような話。 『広島の全市が火の海になったんだ』と。 『広島の街全体あちこちに、ベロベロに、顔から胸から 焼け爛〈れたような人達が右往左往〈に走ってる』 というような状態であったという話を、聞いた訳〈なんです。
それで私は、『いったい今の話は、あんた自身の目で見たのか、 それとも人から聞いた話もその中に入っているのか』ということを言ったら。 『いや、これはもう私の見た話をみんなするんだ』と。 |
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移動 ▽次 △前証言134 | 8月8日 夜 | おにぎり、最後のお別れ | 当時19歳 |
8日の昼間に工場で、おにぎりの 特配があったんですよ。 それは父の方の工場でも…、あったし、私共の職場でも…、 全工場であった 訳〈ですね。 ちょうど8日の晩は 空襲〈警報がありまして、 防空壕〈に入ったんですね。 家の近くの 防空壕〈に入って、父も母も、私共兄弟もみんな入りましてね、 そのおにぎりを分けて食べた。 それがもう本当に最後のお別れだったみたいですね。 |
移動 ▽次 △前あーた、原爆が落ちる夢を見たんですよ。 飛行機がどっから飛んで来たか分〈からず、ピカッって光ってね。 そうしたら、あっちもこっちも怪我〈人ができるし、家は燃えるし。
(そうした)夢…。正夢〈ば見とるとですよ。
それから私、隣の奥さんにね『うちはこうこうして、あんた、 飛行機がどっから来たとやらピカッって光ってね、 火事んあったとやが』って言ったらね、 『あんた、そういうことばっかり言うとる。 いま(に)、軍法会議〈に回されるっとたい』。
『へー、夢見たとでも話ししたら軍法会議〈に回さるって、 ほおぅ、恐ろし恐ろし』って言うてね。私は帰ったんですよ。
そしたらあーた、初めて長崎に落ちて…初めて、 あらー夢とまぁ同じもんたいと思うてね。 ひとつも変わりませんでしたね、夢と。 |
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8月9日 午前 長崎
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移動 ▽次 △前証言136 | 8月9日 朝 | やっぱり造船が狙われている | 当時23歳 |
あの日はちょうど、小雨が降っておりました。
そして、7時頃出勤しますのでねえ、
酒屋町〈(現在の栄町、魚の町)から
幸町〈までね、
電車でございますもんね。
そして、雨がしとしと降っていたんで、
いちばん悪い靴を
履〈いて行っとった
訳〈ですよね、
新しい靴を兄から買ってもらっとったんですけど、
雨が降るからと思って、もったいなくてですね。
そして、
社給〈の洋服を着まして、
袋には全財産を入れまして、薬もみんな入れましてですね。
だいたい8月6日に、その…広島に新型爆弾が落ちたということで、
非常に緊張はしとりましたですよ、これは。
やっぱり造船
(三菱造船所)が狙われているっていうような
通達〈が回っておりましたのでですね。
防空頭巾〈と傘をさして、弁当を持って、そして参りまして…
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移動 ▽次 △前証言137 | 8月9日 朝 | その朝、奇妙なことに | 当時40歳 |
だからその朝、 『僕は今晩は当番だから、たぶん帰られないと思う』と (医大生の)子供 (が)言いましてね。 その時、 奇妙〈なことに、いっぺん出て行って、そして途中で引き返して来て いっぺん帰って来ましたもんね、その朝は。 おかしいねこの子は、今日は帰って来とる 『あんたどうしたの、今日はサボるつもり』って言ったら、 『いいや、なんかちょっと忘れ物したようにあるから、 僕、取りに来た』って言って。 防空壕〈の中に大事な書物を、いつも入れとくんですけど、 それを見に来たって言って、わざわざ見に来たんですよね。 ああここに入っとるから『おかあさん、もしも爆弾が落ちたときには、 この本だけは大事にしといてくれんね』とわざわざ私に言ってね、 そして出て行ったんです。 その頃は、ドイツ語で書いた本は非常に貴重だったんでしょうね。 それでわざわざ引き返して、私にそう言って、出て行った。 それから弟の…、まだ4つと2つの子供を、妙に抱き上げてね、 『兄ちゃん行ってくるからね、元気でおんなさいよ』 いつもせんことをして出ていったんですよ、今から思うとね。 |
移動 ▽次 △前証言138 | 8月9日 朝 | 『僕に飛行機』、それが最後の | 当時30歳 |
9日の日は10時10分に出たんですけど。 子供たちが『私について来る』と言うたのを… そいじゃけど、一番長男坊だけは、どうしてもついて来るって言うのを なだめすかして、置いて来たんですけれど。
そしてその長男坊は、 『どうしても、おかあさん連れていかんならば、僕に飛行機を…』 こう、紙の飛行機のこんなとの、飛ばすやつありましたもんね、 あれを買〈うてくれちゅうもんだから、『そんなら』って言うて、 下のなん(店)まで連れていって、そして3人、3つ買〈うて持たせて…。
そして買〈うてやったら、その長男も、後ろも見ずに帰りましたもんね。 それを曲がり角までだまって、私は眺めてたんですけど…。 それが最後の別れですね。 後ろ姿が未だに…七つの子の後ろ姿が…今でも忘れられません。 |
移動 ▽次 △前証言139 | 8月9日 直前 | 金文字が、秋までもつか | 当時37歳 |
表通りだったもんだから、
表通りに面したガラスに「西日本新聞長崎支局」という文ん字を
金文字で看板〈屋さんに頼んで、描かせる日だったんですよ。
それで朝からずっとそれに看板〈屋さんが掛〈かっておりましてね、
出来上がる頃ですたい、写真部のヨシムラ君というのがね、
『支局長、この立派な金文字が、秋まで持てまっしょうかな』って
冗談言うたことがあるんですよ。
『ばか言うな、縁起の悪い』って笑ったことがありますが…。
看板〈が描き上がったわけですねー、文ん字が。
それでお金を払って、自分の席に戻ってね、座った時ですよ。
移動 ▽次 △前証言140 | 8月9日 直前 | B-29、3機あり | 当時18歳 |
小川町〈(現在の桜町など)ちゅうところに、三菱の分院があった 訳〈ですね、 三菱の病院の分院です。そこの1階の待合室でその人とふたり、 木の椅子に長くなって寝とったわけですね。 そこに5〜6人、居ったと思うんですよ、待合室にね。 そいでラジオが鳴っていた 訳〈ですね。 『 島原〈上空を西に進んでいる B-29、3機あり』つったかな…、 一目標か…、3機やったと思うんですがね。 あっ長崎 (に)、来るなと思うて頭上げたのといっしょにもう… |
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移動 ▽次 △前証言141 | 8月9日 直前 | そのとたんに電気が消えた | 当時47歳 |
今日はとても大事な会議をするんだから、
みんな
忌憚〈のない自分自身の考えを
披瀝〈してくれ、と言うて
始めようとしたらね、そこへ
佐世保の市長、小浦くんというの。
『ちょっと知事に、至急話したい、お願いしたいことがあるから…』
『いま会議を始めるばかりのところだけど、
立ち話
位〈なら入ってきてもいいよ』と。
言ったら、いきなり入って来た時の小浦くんの言葉が、
『広島はえらいことになりましたねえ、大変なことですね』と
こういうことを言うたから、
『ちょっと待ってくれ、それは誰に聞いたんだ?』と言ったら
『いや、
鎮守府〈司令長官から
直〈に聞きました』
『そうか、それはとてもいいニュースだから、
その問題についての、いま、会議をしよるんだからね、
キミの聞いた、
鎮守府〈司令長官から
直〈に聞きいたというその話を、
先にみんなに聞かせてやってくれ』と。
それはなによりありがたいことだ、と。
言ったそのとたんに電気が消えたんですよ。
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移動 ▽次 △前証言142 | 8月9日 瞬間 | 丸い玉が長崎を押さえつけ | 当時22歳 |
兵隊の声で『 野母半島〈上空通過』と言う声と同時に 「パッ」と 炸裂〈したわけですが、 ピカッとしたその、丸い玉ですよ、その時は。 丸い玉みたいなのバアッと長崎に、 押さえつけましたですね、バアッと押さえつけて、 ちょうど海水浴に使う「浮き」でございますね、 桃色のドーナツと言いますか、こうれん (紅蓮〈)の炎と言いますか そういうのがボッとドーナツみたいなのが出来たんですが、 その横幅が、ちょうど 香焼〈から見まして 稲佐岳〈と同じような太さでございました。 (高度)八千というようなことを中隊長に報告すると同時に下の方から、 例のキノコ雲と申しますかあれが真ん中にすーっと出てきたわけですが、 それが間もなくそのドーナツみたいな輪を通り越しまして、 上の方にぶーっとこう盛り上がっていくわけでございますが、 その高度が1万、それから1万2千、1万3千、 と言うことを私は中隊長に報告しましたが、 もう以後は報告するすべがなく、後はずーっと形を 崩〈しまして 上空へ上空へと行ったんですが… |
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移動 ▽次 △前証言143 | 8月9日 瞬間・直後 | 真っ赤に燃える火柱が | 当時35歳 |
ぱっとこうね、 浦上〈の方の空を見たわけですよ。 そしたらもう 浦上〈一帯がですね、地上から天に届くようなですね、 それこそ真っ赤に燃える 火柱〈が立っていたんですよ。 『うわぁ、こりゃ 浦上〈はおおごと、 浦上〈はこら火の海ばい』って。 それがですね、その 火柱〈が、ずーっと消えるのと一緒にですね、 上からなくなり、下からなくなり、すーっと消えて 縮〈まってですね、 火柱〈がなくなるのと一緒に、キノコ雲がずーっと上がったわけですよ。 キノコ雲が上がる 時分〈にはですね、空の色がきれいな 茄子〈の色、ですね。 ああいう 茄子〈の色に空が変わって、一転してかんかん照っとった お昼の太陽が、肉眼で正視できるようになったんですよ。 そしてね、もう太陽だけが、火のもろ 紅〈(?)のようにして燃えているんですよ。 ああ、こりゃもう天と地のひっくり返ったと。 |
移動 ▽次 △前証言144 | 8月9日 瞬間・直後 | 生暖かい風が背中の方を | 当時36歳 |
…そいで、 伏〈せしとった 訳〈ですが。ちょっと時間があったもんだから、 なんじゃろかと思ってちょっと顔を右に上げてみたんですよ、 そうしたところが、長崎駅の方から 中天〈に材木ですね、材木とか、 瓦〈とか、なんかしらん石ころ… それが、要するに… 竜巻〈ですね、 竜巻〈の格好で、 ぐんぐん…もうて (舞って)来るわけですよこっちに。 勝山〈小学校の方に向かって。 これはもうただごとじゃないぞと思っておる瞬間に、 勝山〈小学校のガラス窓が、 (猛烈〈な勢い)で壊れた 訳〈ですね。 それで大変だと思って無我夢中で 伏〈せたところが、 生暖かい風が背中の方をさっと過ぎた 訳〈です。 そして同時に顔を上げたところが… |
移動 ▽次 △前証言145 | 8月9日 瞬間 | 背後から原爆の光線が襲う | 当時16歳 |
「パアッ」とこう、目も 眩〈むような 閃光〈が青空一面に広がって、 花火みたいに赤や、紫、黄色のという風な、 目も 眩〈むような色の火の玉がですね、 雨霰〈となって地上に降り注いで来たんです。 その光線 (火の玉)が自分の顔に当たったとき、 もの 凄〈い焼け 火箸〈を当てられた感じの、もの 凄〈い 劇痛〈を感じたんです。 あっと思って、顔にそこだけ手をやって、左手で押さえたんですよ。 ところが、押さえて、こう 撫〈でたらですね ペロっと皮が上から下に一枚 剥〈けて下がったんですね〜。 それでビックリしてあわてふためいてそこから2mばかり離れた 横穴の 防空壕〈に逃げ込んだんです。 逃げ込むとき、背後から原爆の光線がパッパパッパ襲ってきたんです。 背後から来たもんだから、背中は全部その時焼けて、 防空壕〈に入りこんだんですけど、 崖〈をくり抜いた 防空壕〈で、 前に 遮蔽物〈がなかったものだから、光線がもう次から次ぎに侵入してきて たまらんもんだから、側にあったYシャツを 頭からかぶってしゃがみ込んだんです。 ところがYシャツを手で押さえて、出てるところは手と腕だったんですけどね、 その腕や手が光線で波状的にパッパパッパやって来るんです。 本当その光線というのはもの 凄〈い熱さですね。 それでもう熱いもんだから、歯を食いしばって 身悶〈えしながら うんうん 唸〈って歯を食いしばってがんばっていたんですよね。 それがもう、無限の時間、長い時間に考えられてですね。 長崎原爆資料館学習ハンドブック(PDF版)は「長崎市 平和・原爆 修学旅行ガイドページ」からダウンロードできます。 |
移動 ▽次 △前証言146 | 8月9日 瞬間 | 燃えてるんです、靴が | 当時20歳 |
私はね、太陽が落ちて来て、じゃないかと思ったね。
その音の凄〈さと、光の強さね。パーーンという音に、ピカッとして。
ピカドンという言葉がよく言われますけど、
私にはね、最初から見てたせいか、
もう、音と光と、一緒のような感じがしましたね。
黄色なんです、なんでもかんでも。煙が動いてるんですね、
空気が動いてるという感じなんです。
まず、声が聞こえるんですね。『やられた、助けてくれ〜』と。
ちょっと覗〈いてみると、手をだらーっと下げちゃってね、
裸の兵隊がさぁ、うろうろしてきちがいみたいに叫〈んでるんです。
ものすごく、こう痛みだしてね、
私はまたそのまま立ち上がったのを、そのまま蹲〈ったんです。
でも考えてみるとね、燃えてるんです、靴が、シャツが。
くすぶってるんです。やっぱ本能的に煙を消して。
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移動 ▽次 △前証言147 | 8月9日 瞬間・直後 | 鬼みたいのが「クワー」って | 当時17歳 |
青い色と、ピンク色ですかね、黄、ああいうような火花が出ました。 そのあとに「ドーン」という大きな音がしました。 そしてそれから台風みたいなので、家もね叩〈き潰されたごとなりました。 酸素〈工場の女の人が、出てきて『あんた、誰ね』って言うたら 『うちは、あんたに伝票〈を書いた女です』って。 『ああ、あんたはそげんなったね』。 そのときは女の人はもう裸です。大火傷〈を負〈うちょりました。
部下を『おーい、おまえたちは元気にあるか〜』と言うた時には、 もうその時は全部、20名は死によりました。
女の人の『さあ逃げよう』手を握った時ですね、火傷〈を、 女の人…ずるっと剥〈けて血がバーッと流れました。 そして、火の中を逃げるとき 『助けてくれー、助けてくれー』ち、おらぶ人がおって、 火の海やったから家の下敷きになっとるけん、 助けようにも助けられんかったです。 その時ですね、丁度〈、原爆の(落ちた)雲がですね、 ちょーど上から下を眺めると丁度〈、 鬼みたいのが「クワー」って下を眺めたごと、 ああこれが地獄の一丁目かなと私思いました。 これが本当の地獄の一丁目やなーっと。 それから人間の死体を何人も踏んで、滑〈ってですね、どうかこうか、まあ… |
移動 ▽次 △前証言148 | 8月9日 瞬間・直後 | 背中に「熱ッ」って感じた | 当時16歳 |
ちょっとこう、後ろを振り返ったんですね。 その瞬間、稲光〈のようなのが「パッ」としたんですよ。 背中に「熱ッ」って感じたんですね。 熱ッと感じたちょこっとの瞬間だったんですけど、凄〈い火傷〈。 気が付いてですね、板をはぐって(めくって)外に出たとき、 まだ誰もいなかったですよ。 周りは全部、こうぺちゃんこになってしまっているでしょう。 そして、私何処〈に来たんだろうかと思ったんですよ。 ひとりだけでしょ立っているのは。
もう周りを見てもどこも分〈からないんですよね。 そいで、誰かが『助けてくれ〜』言う…言われたんです。 そいで自分にかえって、もう自分の着物なんにもないんですよね。 ズロースだけに…、なっているんです。 |
移動 ▽次 △前証言149 | 8月9日 直後 | 目をつぶる時間もない | 当時35歳 |
『なんかねありゃ』、光線と
爆風〈と一緒に入って来たっじゃが、何だろう。
とにかく、ここは穴の中やから、まあ危険なことないだろうと。
ちょうど
坂本町〈の
外人墓地の下に横穴を掘っとったですからね、
『とにかく出てみようか』と、やっと身体が抜け出るくらい掘って
こーして見たところが、外はあんた、死人だらけでしょう、
みんな裸でですなぁ。
『おーい、こりゃ大ごとぞ、とにかく早よ出ろ』って。
出てですね、それで見たところ、触ると皮はべらっと、
目は開けたまま、目をつぶる時間もないわけですね。
息の切れるまでに…。目を全部開けたままですよ。
その穴を出てからですね、死人を、片手
拝〈みですよ
千手……じゃないけども、
こらえてくださいって。涙が出るんですよ、ねえ伊藤さん。
当時を思えば、涙が出るんですよ、
本当に、死んだ人を踏まんと歩かれんやったっですよ。
こらえてくださいよって踏み超えて、走ったっです。
その間、もう、まだ息のある人はですね、
女じゃろう、男、もう
容相〈分〈からん
訳〈ですよ。
燃えっしもうて、血を
浴〈びてもう、
その
形相〈『助けてくれー』とおめきよるとをですね、
そらどうもされん、その時の
情〈けなさですね、どうもしいきれんとですよ。
本当
情〈けなかったです。もう生き地獄ってあれのことでしょうね。
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外人墓地より長崎の町(下の方にあります) 左記のトップページはこちら→ 遊々楽々手作りライフ
移動 ▽次 △前証言150 | 8月9日 直後 | 弟の頭、真っ二つに割れていた | 当時13歳 |
前を見ましたところ、 楠〈が、もうパチパチパチパチとですね、 星のように光って木の中から、火が「パーッ」と吹き出たみたいな感じで、 七色の、色で燃えているのをはっきりですね、この目で見たんですよ。 ああ、これで 終〈いた、これで終わったんだなあ、 いつ、自分はいつ死ぬんだろうか、っていう気持ちだけっだったですね。 慌〈てて『お母さーん』って言ったんです。お母さんが、 『タダヒロ、タダヒロ』って弟の名前を何回か呼ぶうちにもう、 火傷〈でですね、水 膨〈れを 抱〈えて弟を…。目の前に居りましたもんですから、 『ああここに居た』ちゅうて、左の手で 抱〈えてですね、 防空壕〈に走って行ったんですけど、その時弟の頭を見ましたら、 真っ二つに割れていた。 頭から血がどんどんどんどん出てますもんですから、 こらいけないと思うて、また 慌〈てて 防空壕〈に あたしも一緒に走って行ったと思います。 その時は家の中も外も、火に包まれましてね…。 お 布団〈を干してた、そのお 布団〈に光線があたりまして、燃えてたと思います。 母が『あいた、あいた、あいた、あいた』って言いながらですね、 『お母さん、どうしたの』って、ここを見たら水 膨〈れでぶら下がっているのが ビーッっと破れちゃったんですよね。 破れたかと思ったら、そこからヒリつくんでしょうね、 『痛いよ、痛いよ、痛いよ、痛いよ』って、お母さんが 始終〈言い出しましてね… |
移動 ▽次 △前証言151 | 8月9日 直後 | 苦しい呻き声に蝉の音が | 当時12歳 |
その 防空壕〈の端っこにはうちの 防空壕〈があったんです。 そこに私、入り込んだんです。兄が居ないかナーっと思って。 (そし)たら兄が居ないんです。出たんです。 そしたらキョウコちゃんが、『みっちゃん、みっちゃん』って呼ぶんですよ。 そしてね、そして私がね、あんただあれと聞いたら 『キョウコよ』って言うんですよ。 近づいて来て、『みっちゃん、水、水』って言うんですよね。 そのときはその、水をやれる状態じゃなかったんです。 姿を見ましたら、真っ黒! 髪の毛もなんにもない! ただ、パンツのゴムだけ…。 皮膚もね、下がってるんじゃなくて真っ黒、くっついて…… 焼けると…水 膨〈れが…、そんなんじゃないんです。 もう、真っ黒! だからよっぽど 酷〈かったんでしょうねー。 『水を、水を』ってね。本当あの声はいまだに、この、…残ってるんです。 だからね、家の裏にこの位の桜の木を持ってきて植えてたんです。 それが、こんな大きくなったんですね。 夏になると 蝉〈の音がね…、もう『水、水、水』って聞こえるんですよ。 『水、水、水、水をちょうだい』。 それとあの 呻〈き声ね、 苦〈しい 呻〈き声に 蝉〈の音が聞こえるんです。 それでもう全部切ってもらったんです。 |
移動 ▽次 △前証言152 | 8月9日 直後 | 誰もいない別世界 | 当時34歳 |
ちょうど別世界なんですね、誰もいないから。おかしいなあと思ったんですよ。 そして周りを見たら薄暗くなってるんですね、さっきまで真昼でしょう。 空は青くて白い雲が少しあるだけでね。もう、きれいな景色だったのがね。 ちょうどもう薄暗くなってね、真冬の山で雪がいっぱい降ったとき、 薄暗ーくて、なんとなく暗い景色になりますね。ああいう状態なんですね。 陣地〈に今まで大勢いたのが一人もいないでしょ。 とにかく「ぱっ」と下を向いたときね、 丁度〈隙間〈なく一定の正確な間隔を置いてね、 チョロチョロ燃えているんです、街全部が。 浦上〈の方がですね。 長崎医大の真上ですからね、一目で上から見えるんです。 街全体が、 浦上〈の方が。 いつの間にこんだけの 焼夷弾〈落としたのかな、と思ったですね。 これが本当につながったら、続いてしまったら火の海だなと思ったですね。 ゾーッと背筋がまた寒くなりましたよ。 すべて終わりだ、全部がおしまいだ。 |
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移動 ▽次 △前証言153 | 8月9日 瞬間・直後 | ちょうど肩んところから腰まで | 当時17歳 |
もう、工場の中じゃけど、真っ暗すみですよ。 (炸裂〈した)瞬間、ビーン…頭がジーンとなってもう耳がチーンと なんかガーンって 叩〈かれたのと同然ですね。 そして、最初受けて、うわ爆弾だと思うたんじゃけども、 なんだって思いよる最中に今度はもう、タッタッ、 爆風〈っていうですかね、 もう四つん 這〈いなっとっても突っ張っておりきらんぐらい強かったんですよ。 そして3回か4回ぐらい、やっぱ波状的に来たですね、 爆風〈が。 突っ張っとっても、グッググッグ背中から 爆風〈で押されて。 そしてして、白う窓んところがボヤっーっと見える。 そいでそっちに行こうにも結局バラバラになっとるから、 上の トタンなんかが落ちて重なっとるとばですね… 歩けんわけですよ。そいでもう、泳いで行ったのか 這〈って 行ったのか、そこまで無我夢中で窓際まで行ったとです。 窓から飛び越して出たところが、2〜3人。あっち1人、こっち1人。 トタンが結局 爆風〈でボーッと上に上がっとるわけですね。 それが降りて来る、直接サーッと降りて来る、ちょうど 肩んところから腰まで、口があいとるぐらい切れとったです。 血はトット流れよるわけですよ。その中を今度はもう、 目ん玉は結局飛び出たら、こう下がるんですね、この辺まで。 ぶらーっと下がっとるわけだ、こう引っ込んでね。 そして、女の髪の毛は真っ縦に立っとる。全部。 結局、えずくて (怖くて)ビックリした時に 髪の毛が立ったって言うくらい。本当ですね。 結局、まっすぐこう、普通下げとる髪の毛がもう真上にもう、 撫〈でつけたごと立っとるんですねー ほーってもう目ん玉は飛び出て…。友だちにすがってもう…。 |
移動 ▽次 △前証言154 | 8月9日 直後 | 気がついたら釜の中に | 当時15歳 |
一瞬もう闇夜になっちゃった 訳〈です。 ですから、はっきりその時に爆発音ていうものは聞いてない 訳〈ですよ。 あまりに近いためにですね。 ただ 稲光〈が、一瞬全世界が明るくなって、 一瞬また暗黒の世界になったような状態で。 気がついた時には、 魚雷〈の心臓部たる 噴霧器〈の、 これは火力試験をするところの、その釜の中に入っちゃったんですね。 と、立ち上がろうとしたところが、『あっそうだ、ここは釜の中だったんだな』、 何時〈入ったんだろう。自分でも無意識だからわかんなかったんですが。 ほとんど薄暗いもんですから手探りで出て。 ほんで、表でちょうどその時に女の子が二人で表を掃除していたんです。 これが二人ともどこへ吹っ飛んだんだか判らないですねー。 なんの形もないんです。 ほんで、ちょっと行きましたところが、組立工場長がですね、 左足の片っ方が全然ないんです。 結局なんかの拍子に切れたんでしょうね。切断されてるんです。 そこには、おびただしい人が泣き 叫〈んでいる…。 もう真っ暗ですしね。 |
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『魚雷』を造っていた三菱重工業(株)長崎兵器製作所茂里町工場の原爆被爆跡 左記のトップページはこちら→ 東高在京同窓会ホームページ
移動 ▽次 △前証言155 | 8月9日 30分後位? | 手首を鋸で切って、出して | 当時31歳 |
2階からごそっと 崩〈れ落ちて、その中に 女子挺身隊〈の連中が 100人ぐらいは居るんですけん。 そいが、わいわいその中で、みな狂いおった。 そいから、そのエンジンをいっぱい吹かして… その、泣き 叫〈ぶ…。火が少しずつ回りだしたんです。 正味10分でしょうね、エンジンを全開させて、もういっぱい吹かして… ホースで、一人ですけん、水をかけようもなにもないし。 そいから、かけたんですよ。エンジンは全開して吹かしよる、 慌〈てちょる。一人でするもんじゃからもう、すぐ真っ赤になって エンジンは、もう、止まってしもうたですたい。 オイルも悪いもんですけんね。 ところが一人、女の子がH鋼の 梁〈に手首だけ下敷きになって…。 一人飛び出しちょったのが居った。それからそれを、手首を切って、 可哀想〈だと思ったけど、 鋸〈で切って、それで出して、 止血をして『早くここを逃れなさい』と。 |
移動 ▽次 △前証言156 | 8月9日 30分後位? | 生きながら燃えてる人間も | 当時34歳 |
まあ、
待避〈する瞬間がですねえ、その工場内でも、
実際もう、もの
凄〈く人間が死んでるんですねぇ。
それから生きながら燃えてる人間もおるわけですよ。
なぜかと言うと、結局大きな工場、倒れとるでしょう。
その
梁〈の下になってですね。そしてもう下の方には火が付いてるんですよね、
助けてくれって言うけど、とにかくもう助けるもんも誰もおらん
訳〈ですよ。
みんな
瀕死〈瀕傷〈で、とにかく自分がもう
一生懸命〈でしょ。
そして一人ふたりじゃ
梁〈なんか動かそうて動かん
訳〈ですよ。
二度とあんなとは、見ろて言われたって見られんですね。
また、見きらないですねぇ、目を
覆〈うごとありますよ。
そしてそうこうするうちに、
……敵の
グラマンが低空射撃で襲って来るわけですよ。
防空壕〈に入りましたがね、
防空壕〈に入ってもとにかく、
みな、逃げてくるのが、やはり全部もう、
重傷した全身もう熱風でやられた人やらですね
半身を光線でやられて焼け
爛〈れた者やら、息
絶〈え
絶〈えに、
何人って
待避〈してくる
訳〈ですよね。
そして狭い
防空壕〈に
犇〈めきおうてですね。
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移動 ▽次 △前証言157 | 8月9日 30分後位? | 血膿の雲と炎が交差して | 当時36歳 |
防空壕〈に行ってみると、もうすでにもう一杯ですわね、重傷の人がね。
私なんかが入る余裕はないとです。
皆、息
絶〈え
絶〈えで、とにかくもうなんて言いますかな、
地獄ですね。地獄絵巻を見るとと一緒です。
そいで、『助けてくれ、助けてくれ』言うけど、こっちも
怪我〈しとるし、
もうどうしようもない。
そいからしばらくしたら、
今度は
グラマンがやって来たです。
ズーッてねえ、グラマンが上ズーッって旋回して、
それで夏やから白いもん着とるもんだから、
もう目に付いたものは、わーっと
機銃掃射〈やるわけですよ。
その当時が、雲なんか見るとですね、何とも言えん、まあ、
血膿〈を流したような雲がですね、
それ思い出したらちょっと頭がどうかなるごたるですね。
血の
膿〈を流したような雲と、下から燃え上がった炎とですね、
上からの雲と交差して…。
何とも言えん、もう、いやな気持ちがするですね。今でも。
そしたら今度は
丁度〈近くに
師範学校〈がありましたが、
師範〈学校が燃えだしてですね、
それもどんどんどんどん、もう燃えてですなぁ。
見る見るうちに長崎の街は燃え出したですよ、どこも。
移動 ▽次 △前証言158 | 8月9日 13時頃 | いっしょに「君が代」 | 当時38歳 |
どんどんどんどん長崎方面の、三菱の子供たちが、
全部もう逃げて来るんですけど、
どの子を見ても、髪はね、逆立ち、もうシューっとなり、
丁度〈、お
不動〈さん
(不動〈明王〈)の絵ですね。
そんな形の、もう着物は
もんぺはボロボロボロボロになって、
そしてもう、血みどろでしょう。そしてもう、顔はとにかく真っ黒。
男か女かもそれこそ判りませんね。それがゾロゾロゾロゾロ。
丁度〈水が流れて来るみたいに私どもの
防空壕〈にの方に逃げて来る。
わたしもそれに連なってずーっと一緒に
防空壕〈の中、入ったわけ。
そうしたらもう、中は真っ暗でございましょう、電気は
点〈かないですから。
真っ暗い中、みんなワアワアワアワア泣いて入るんですよね。
悔しくて泣いているのか、痛くて泣いているのか、
なんで泣いているのか判らない子が。
何人もじゃないでしょうけど、そのワンワン
防空壕〈の中ですから響くんですね。
さすがに私も
情〈けなくなって、これはなんとか、
この泣くのを止めたいなあと思いましてね、
「君が代」を歌い出したの、私が。
で、「君が代」を歌って、1番を歌ってしまう頃までは、
ワアワアワ言ってたんですけどもね、
2番を歌う頃ね、段々段々声が少なくなりましてね、
そして、泣き声がね、いっしょに「君が代」歌い始めたんです。
その時は、本当に嬉しくてね、「君が代」っていうものがね、
その頃のね、人達にこれだけの
感興〈を沸かすかと思いましたね。
みんな「君が代」歌いながら…
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移動 ▽次 △前証言159 | 8月9日 1時間後位? | すでに腰から下の感覚がなく | 当時16歳 |
正気〈付いて、そして辺りをこう見回したんですね。
すると、巨大な鉄骨が飴〈のように曲がって、
その下敷きにわたしがなっている訳〈ですよ。
立ち上がろうとしたところがですね、
頭と足がぴったり、くっついてしまって、お腹も足もついている訳〈ですね。
丁度〈あのぉ、海老〈のように曲がっている訳〈なんですよ。
そして、背中から頭にかけて、鉄骨が落っこちてきている訳〈なんですね。
それでその、もがこうにももがききれない訳〈ですよ。
それで『助けてー』とおめいた訳〈なんですけれどね。
シーンとした中で、本館から若い女の人が出て来て、
少し梁〈に隙間〈があったんですね。
その隙間〈の中にその女の方が、四つん這〈いに入り込んで、
両肩でその鉄骨を持ち上げて下さったんですよ。
それで、そこから私は救い出されて、一応立たされた訳〈ですね。
ところがもう、その時すでに、腰から下の感覚がなくて…
移動 ▽次 △前証言160 | 8月9日 正午すぎ | 自分はこれで最期 | 当時14歳 |
花の中に埋まって寝とったんですね、その時が、夢が。 それでもう気持ちよく寝とったのが、間もなくしてから、その、 『近藤くーん』ってその声がかすかに聞こえたのが憶えていますね。 そして、あらー誰か私の側に来てるねぇー、 じっとしててくれればいいのに、っていうようなね、 そんな風な気持ちだったんですね。 そして掘り出される時はもう、憶えていないんですね。 天井の 梁〈かなんかしらに、身体が、こう二つ折れたように曲がって 下敷きになっとったらしいですね。そして助けられて、 またそのとき「ドカーン」と大きな音がしたんですね、 爆弾みたいな音が。 そしてみんなはもう、足が達者だから、 全部地下の 防空壕〈に入ってしまって、私一人だけ残ったんですよ。 誰も入れてくれる人がなくて。それで、あの、もうどうしようか、 もう、自分助からん、これで 最期〈やろうって言うて、 もう 一生懸命〈、泣くにも泣けんしですね。 様子をうかがっておった 訳〈ですね。 もう、周囲を見ると真っ赤に染まって燃えていたんですね。 それを見て、助からん…、 最期〈、自分はこれで 最期〈やろう、 という気持ちで、半分 諦〈めてたんですね。 そんなして、 一生懸命〈、『助けてくれー、 助けてくださーい』っておめきよる所に、 布団〈をひっ 被〈って、誰か、男の方だったんですね、 被〈って来てから、 私に 被〈せてくれたんですね。その時… |
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移動 ▽次 △前もうねぇ、何千人という群衆が
「ウーォー」っと移動しているんですよ、
工場の外へ向かって。
みんな鉛〈色ですよ。
鉛〈の粉をね、吹き付けたみたいに。
目だけが白黒している。それでね、みんなもう重傷ですよ。
もう、胸のところ、背中、頭、首。
10cmから20cm位ね、引き裂かれて、ザクッと。
でね、『ハッハ、ハッハ』言いながらね。
ぼとぼとぼとぼとやってね。
走るでもない、歩くでもない、みんながそうですからね、
工場の外へ向かって出ていってるんです。
移動 ▽次 △前証言162 | 8月9日 1時間後位? | 「ウワ」って思うた時には | 当時15歳 |
もう、自分たち以外の所からもワンサワンサ、 羊の群みたいに、もう走って逃げるわけですよ。 そいでわしもそれに合流して。 ところが、全部、駅の方に曲がる列は一人もおらん。 全部、反対の 浦上〈の方にですね。 先頭の曲がるごと、どんどこどんどこどんどこ行くわけ。 そしたらもう、女の人が真っ裸、道に座って。 もうなんもかんもないわけ、びっしゃげて (つぶれて)しもうて、民家ちゅうのは。 はっと見たら、こぅーして泣きよるわけですね。 見たら、おっぱいが 千切〈れてですね、こぅーしとるわけですよ。 そして、「ウワ」って思うた時にはもうどんどんもう行くわけです。 並んで行くわけですからもう、なんかの牛みたいに。 何十人、何百人、並んで行くわけ。生き残ったもん全部が。 ほして、行ったらですね、ずーっと家のじゃげ (つぶれ)とりましょう。 しゃがれた中からですね、『助けてー』という声が聞こえるわけですよ。 走りよったら。で、誰がおめきよるかは知らんけど、 女の人がおめきよることは間違いなかわけです。女の声ですから。 誰もそれを 留〈まって、上げてくれる人は誰もおらんですね。 私も、もうそうどころじゃない。全部逃げるから全部逃げるわけですよ。 |
移動 ▽次 △前証言163 | 8月9日 脱出後 | それでも『抜いてくれ』 | 当時15歳 |
中年の男性でしたけどね。 転んでて、胸の所に丁度〈心臓の近くですけどね。 大きなガラス片が刺さってて、 それをその、自分でね、つまんで、…こう震〈えましたよね。 『抜いてくれ、抜いてくれ、 助けてくれ、助けてください』というわけでね。 言うんですけど誰も振り向きもしないでしょ。
で、そのガラスを引き抜こうとしたんですけど、 血糊〈が付いてて。相手がガラスですから。 滑〈るんです。手ではね。何回やってもダメですね。
それで、腰にぶら下げとった手ぬぐいを抜いてね、 手ぬぐいをあてがってやったけど、 やっぱり血糊〈が付いている間はダメでね、滑〈って。 で、血糊〈の付いていない方を、こう、変えていって、 そいで滑〈らないところでグイグイと、こうね、揺すって。 そらもうもの凄〈く痛がりましたよね。 もの凄〈い悲鳴上げたです。それでも『抜いてくれ』って言うんです。 私も覚悟を決めましたよね、抜いたです。 ががががと揺すって、ズボっと抜いたところが、ガボっと血が出て。 たぶんね、今考えてみると、 心臓を切ったんじゃないかと思うんですよねぇ。 血がガボっと出ましたからね。同時に気を失つちゃったんです。 悪いことした…と思ってねぇ。 |
移動 ▽次 △前証言164 | 8月9日 正午頃 | 背中がないんですよ、えぐり取られて | 当時14歳 |
そして抜け出たんですけど、方角が全く
分〈からないわけです。
今まであった建物というのが、全く全滅しているでしょ。
それといっしょに、九大
(九州大学)の生徒ですけどね、
『どっか
怪我〈してませんか』と言うんですよ。
その人は、私が
怪我〈してるのを
気遣ってくれてる
訳〈じゃないんですよね。
自分が
怪我〈してるのを、
どこか
怪我〈してないか見てくれという意味なんですよね。
見たら、表面、白いワイシャツ着てて、
その、全く
怪我〈してないんですよ。
それで、『いいえ』と言ったら安心して、
くるっと後換えって向こう
(へ)走っていったんですよ。
それを見てびっくりしたんです。
背中がないんですよ、えぐり取られてですね。
もう男と女も全く区別はつかないし、
血塗〈れの人間がそいこそ
右往左往〈してるでしょ。
それがこう、自分をみんなが追いかけて来ているというような、
夢の中で、こう、追われるようなですね。
ところが、
機銃掃射〈するんですよ。もうですね、5mも行けないんですね。
そしてこう、あれ戦闘機ですかね、目が見えるんですよ。
アメリカ兵独特の目が、
窪〈んだ目が見えるのか、サングラスかけてるのが、
あんな
(に)見えるのか、もうせせら笑うようにですね、
もうすぐ下まで降りてくるんですね。
来たと思ったら、ぱっと次の
防空壕〈まで、どうかして走って行こうとか、
思うんですけど、途中でやられてしまう。
藁〈をもすがるでそこら辺にあったのに
バッと
掴〈んで、この、しがみつくわけですね。後で気がついてみたら、
死体にしがみついていたりですね。
移動 ▽次 △前証言165 | 8月9日 30分後位? | 機銃掃射でダダダダダーッ | 当時16歳 |
『敵機だー』ちゅうことで、
防空壕〈の入口に動ききらんもんだから
しゃがみ込んでしまったんですよ。しゃがみ込んでしまったら、
外に立つとる人たちんところ
機銃掃射〈でね、
もう、あの、敵のメガネのあれ
(ゴーグル)をはめとるのがよく見えましたよ。
こう乗り出して
機銃掃射〈でダダダダダーッ、っと。
後ろの飛行機からはね、なんか写真を撮っているような状態だったのね。
『ギャー』ってやられる人もおるし。
そらもう、しゃがみ込んで頭押さえる位が関の山で、どうすることもできん。
そぅして、『ここにおったら危ないから移動して下さい』言うて。
道ばたに
電車が
焦〈げて、窓にぶら下がってる人を2人見ましたね。
電車の上がり口のところに重なって死んでいた。
それから、死体があっちこっちあるから。
連れてってくれとしゃがみ込んでいる人、
真っ裸でうろうろしている人もいましたね。
血だらけになった人とかそれはそれはそれはもう、
地獄の真ん中に立たせられたという感じでね。
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移動 ▽次 △前証言166 | 8月9日 直後〜30分後位 | 南無大師遍照金剛 | 当時19歳 |
三菱兵器を無我夢中でみんなの後ろから逃げ出したときには、 ちょうど、あたりは黄色いような、黒いような黄色いようなね、 世の中になっているんですよ。 昼なのか夜なのか分〈からないようなですね。 薄暗いような黄色いような、空、全体が、 そういう、光がなくてこの世の、ものとは思えないような状態。
逃げていく人たちの姿というのは無惨〈で、 田んぼの中に女の子がバタンと倒れたんですよ。 ちょうど私の前を行ってましてね。 2〜3歩行ってバタンと倒れたんですよ。 どうするかなと思って駆〈け寄ったら、自分でまた立ったんですよ。 立ち上がって、また何歩か行ったら、もうパタッと倒れたんですね。 それで、側に行って『しっかりしなさい』って揺すったんですよ。 『看護婦さん呼ぶからね』って言ったんですよ。
『お母さん』と言って、それから『南無大師遍照金剛〈』っていうお題目を 2回くらい聞いたように思います。 |
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南無大師遍照金剛(短い動画) 左記のトップページはこちら→ YouTube
移動 ▽次 △前証言167 | 8月9日 | きたない水に十字を切って | 当時15歳 |
『水が飲みたい、水が飲みたい』って言うんでね、 きたない泥水でしたけどね、 近くからカボチャ、2つに割れてるのを拾ってきて、 中身ほじくり出して、それで、まあ、きたない泥水に十字を切って、 その水を汲〈んでいって飲ませたりしたんですけどね。
私はクリスチャンですからコンタツ(ロザリオ=十字架)を持っていたんですね。 クリスチャンじゃない人たちに貸して、 それで、何人もで一つのあれを持ちながら一生懸命〈祈ったりしました。 そうするうちにシスター、童貞〈(修道女)さんですけど、2人来てくれた。 |
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コンタツ(中程) 左記のトップページはこちら→ 歴史に好奇心!さわらび通信
移動 ▽次 △前証言168 | 8月9日 1時間後位? | お願い、屋根を持ち上げて | 当時10歳代 |
そしたら、男の40代ぐらいの方でしたかねぇ、 座って私たちに、こう拝〈むんですよ。 どうしたんだろうと思ったら、 『お願いです。この家の下に、家内〈と子供と、 5人が下敷きになっているから この屋根を持ち上げてくれませんか』って言うんですよ。
で、みんなキズだらけでしょ。逃げていく者全てがね。 で、もう一応私も握りました。あの、屋根の端の方をね 握ったけど、皆、もう身体は血だらけだから、みな怪我〈してるから、 もうそれに、同情はできなかったんでしょうね。 下敷きになっている屋根の上をどんどん逃げていくんですよね。
私も可哀想〈で可哀想〈で、その男の方が手を合わせて、泣いて、 『これを持ち上げてください、持ち上げてください』って言うんだけど、 誰一人、逃げるのが精一杯だったんで。 いつ自分たちが、敵機が来てやられるかと不安で、 私もね、一番最後になって一人になったんですよ。 なんとか手伝おうと、こうしたけど、持ち上げられなかったから 『ごめんなさい』と先の方に進んだんですけど、それが未だに… |
移動 ▽次 △前証言169 | 8月9日 30〜40分後 | どうか立ち止まって、力を貸して | 当時16歳 |
今考えてみるとですね、
爆心地の方からゾロゾロ人が逃げて来るんですよ。
逃げて来ると言ったって、駈けてくるんじゃないですよ。
とぼとぼとぼとぼ歩いて来るんです。その歩いて来る様子はね、
私は幽霊見たことないけど、幽霊というのは、よく、前の、
両方の手をだらっとぶら下げてね、
あの「うらめしや」という感じで描かれているでしょ。
あの幽霊みたいな格好してるんです、みんな。
自分の腕の皮膚をダラーっと、指先にぶら下げてね。
そして、前の人に並んで、とぼとぼとぼとぼ歩いて来るんです。
私がね『私の友だちがここの屋根の下敷きになって、
屋根が重くて一人の力では、動かしきりませんから、
どうか立ち止まって、力を貸してください』と、
私は頭をぺこぺこ下げて頼んでみるんですけど、
誰も止まってくれないんですよ。
なんかあの、放心状態というのかな。
私がどんなに頼んでも止まってくれないんです。
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移動 ▽次 △前沢山〈の負傷者が来るわけですね。
みんな、腰に紐〈一本だけを巻いているんです。
着物が全部吹き飛ばされてる、それで今度は夏ですから薄着〈。
そうしますと今度は、着物ばかりじゃのうして皮が吹き飛ばされているんです。
皮が吹き飛ばされて、切れずにぶら下がって、
丁度〈、風呂敷をぶら下げたように、皮がぶらぶら下がっているんですね。
それを引きずるように歩いて来よる、皆裸足です。
『熱か熱か、どこまで行っても熱か』。
というのは、その人達は、もう裸足で焼け土の上を歩いているから、
皮は焼けてなくなっている。肉で歩いてるんです。
だから、痛いのも熱いのもわからないような状態ですね。
その脇〈の道路には、たくさん南に向かって倒れて死んでいる訳〈ですね。
その人達は、歩き続けて焼け足で腹ばうようにして来た人もおります。
そうすっと、その人達死んでるけどね、
その人達の魂〈はやっぱり南に向かって、
歩き続けていると思っているんですよね。
移動 ▽次 △前証言171 | 8月9日 | 次から次、次から次へと | 当時36歳 |
ビックリしてね、私、もう本当、動けなかったんですよ。
ていうのはもう、素っ裸ですね、そうしてもう、
身体中が腫〈れ上がった人たちがね。
本当に人間じゃないですね、なにも着ていないんですから。
あるいはゴザみたいなのを身体に巻き付けたりね。
そういう調子の人たちが次から次へと歩いて来るです。
何時間も何時間も掛〈かって、火の中を潜〈って来た人たちですよね。
腕の皮がぶらっと下がったり。
本当に皮はあんなに下がるもんだということを、私初めて知りました。
股の皮でもなんでもビローっと剥〈げましてね。そして髪の毛なんてのはこう。
髪の毛は逆立つと言いますね、逆立つという形容〈は全く本当ですね。
もう、1本1本、逆立っているんですよ。
そしてそれがもう、焼けたところもあるしですね。
そういう人が次から次、次から次へともう、
ずーっと繋〈がっているんですよねぇ。
移動 ▽次 △前証言172 | 8月9日 午後 | 今でもあの子に何とか水を | 当時27歳 |
とにかく、死の行進と言いますか、
もう、頭はちぎれたり真っ裸であったり、
真っ黒になった人、とにかく、
夢遊病者〈のような状態ですね。
それでもやっぱり逃げたいという心理でしょうね、
ゾロゾロ来よるんですね。そうかと思うと、動ききらんで
芋虫〈のようにゴロゴロしながら…。
いまでも私の目から離れんですが、若い娘の子やったですが、
真っ裸で、真っ黒に汚れ…、汚れというか…
火傷〈しとると思いますけど。
『私は…、ウチは死ぬとよ、水ばくれんね、くれんね』言いよるもんあんた。
ほってんか
(だけど)、水を、自分も手がふさがってどうもならんもんじゃけん。
水を飲ましてやりた
(い)ねー思うけども、そいがでけんでですねぇ、
そのまま見捨てて帰りました、あの…、逃げたですけど…。
今でもあの子に何とかして水を飲ませてやりたかったなぁと思います。
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移動 ▽次 △前証言173 | 8月9日 夕近く | 首のない赤ちゃんに『泣くなよ』 | 当時23歳 |
…そして、行き交う人を見れば、…全裸の人も居るですもんね。
そして、こう、皮が腰までぶら下がっちょっとのね。
浦上〈の方から、こう、走ってくる人たちの姿を見る。
これが新型爆弾じゃなかろうか、とその時はじめて思うたですね。
いちばん記憶に残ったのは、その、首のない赤ちゃんをからって
(背負〈って)、
自分もすでに、まぁ全裸にはなっちょらんですけど、
前の方だけしかなかったですけども。
それでも、『泣くなよ、泣くなよ』言うてですね、
と言うて走る人の姿を見たとき。
本当に、戦争というのがむごたらしいもんなあと、
本当にそん時感じたですね。
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移動 ▽次 △前証言174 | 8月9日 午後 | 魂まで吹き飛んだような状態に | 当時32歳 |
外人墓地の上の、広い畑の中で、 そこにたむろしてる、その多くの 火傷〈とか 怪我〈人。 沢山〈たむろしている団体に出合って、 9年間も中国で戦争をし、何十人もの、死体を、見ながら、 少しもそういうことに、驚かなかった自分が、 その状況を見て、 魂〈まで吹き飛んだような状態になってしまいました。 ほとんどの方が、 火傷〈で本当の顔も 分〈からないし、 抱いている赤ちゃんは、もうすでに、息も 絶〈え 絶〈えに、してるのに、 母は 一生懸命〈おっぱいを与えるような格好で、あやしてる。 背中の赤ちゃんは、 一生懸命〈おっぱいを求めて泣くのに、 もうすでにお母さんは、虫の息と、いうような、姿。 あるいは大きな負傷を 負〈いながら、口も 利〈けないようなお年寄り。 その周囲を、兄弟らしい2人の少年が、母の名を呼び、 父の名を 叫〈びながら、狂ったように走り回ってる姿を見たとき… |
移動 ▽次 △前証言175 | 8月9日 午後早い時間 | うちの防空壕やけん、出て行かんね | 当時16歳 |
下の方から原爆で
怪我〈した人たちが
三々五々〈、
列作って、ずっともう、上って来ているんですね、無数に。
それで、その人たちが上る途中で、
精〈も
魂〈も疲れ果て、次々に倒れていくんですね。
道の
両脇〈には、バタバタそういう人たちが倒れて、
赤黒く焼け
爛〈れて
膨〈れ上がった人たちがですね。
目も当てられないような状態でバタバタ転がっているんですね。
で、その人達なんかは、もの
凄〈い
喉〈の
渇〈きがあったのでしょうね、
その道の
脇〈の方にどぶ
溝〈があったんです。
そのどぶの
溝〈の、水の中に顔をつっこむようにして、
ほとんどの人が息
絶〈えているんですね。
それで、そんなとを、こう見ながら上って行ったんですけど、
そうするとですね、また飛行機の
爆撃〈音が聞こえたんです。
そうすると、その家の人たちが
慌〈てて、前に
防空壕〈があったんですね。
そこの家の
防空壕〈だったんですけど、
そこにみんな家族全部
避難〈したんですよ。
しょうがないもんだから、私もその後から付いて、入って行ったんですよ。
ところが、その人たちは先に入って、後から来た自分を見たら、
『あんたどこのもんね、ここはうちの
防空壕〈やけん、すぐ出て行かんね』と、
こういう風に言ってですねぇ。
上空には敵機が、こう旋回してるんですね。
その中を『出て行け』と言われるでしょう。
出て行けば、
機銃掃射〈でも受けて、たちどころにやられるけんなぁ、
というの恐怖心があったんですけど、
出て行けと言われるもん、しょぅんないですねぇ。
そいでもう、泣く泣くですね、そこを…
移動 ▽次 △前証言176 | 8月9日 2時間後位? | これではもう、復興もどうにもならん | 当時38歳 |
坂のある丘をよじ登ったわけですね。
登ってそこに、ちょっと広い大きな墓がありましたが、
その墓の…、20名が立って、そこで下を眺めて初めて唖然〈とした訳〈です。
『わーつ、たーっ』っと言うため息。これではもうだめだと。
他の21名の人も、みんなもう唖然〈として、『うわーつ』と、
驚嘆〈の声を漏〈らすだけだったですね。
まあ、その周囲の山は、山火事を起こしているし、
ほとんど木造建築で残っている家は一軒も見えないしですね。
工場の鉄骨は、飴〈のように曲がって、もちろんスレートも飛んでしまう、
ガラス窓も、ガラスも飛んでしまってですね。
これではもう、復興〈もどうにもならん…
移動 ▽次 △前証言177 | 8月9日 1時間後位? | 落ちる度に、街は火の海に | 当時17歳 |
崖〈を、石崖のくえた(崩〈れた)ごたっところを、這〈うたごとして行った。
で、山の、山の頂上〈の方に行ったところが、
兵隊の姿はなるほど見えたけども、兵隊も火傷〈で真っ黒、
顔は黒こげになっとる訳〈ですよね。
ほっで『薬はないか?』って言ったけど。
『薬もない、水もない、我々もこんな状態じゃから、
そんなその、薬やら水、補給もでけん』て言うた。
山に着〈くのと同時にドラム缶が「ボーン」と破裂〈して、
上に上がって、パーンと爆発して、落ちる度に、街は火の海に、
次から次ぎさんなっていったんですね。
ほっでもう、山の上におっても、顔が熱いわけです、
ものすごい熱いわけですよ。
そいけどもう、ビリビリする訳〈ですね。
そのうちに吐〈き気が、もの凄〈う吐〈き気がするし、
吐〈き気がしてでも、吐〈くものがないでしょ、
腹の中になんもないもんじゃから。
で、あの苦〈い胃液を吐〈くんですよ。それが苦〈しゅうてからもう。
移動 ▽次 △前証言178 | 8月9日 正午過ぎ? | はっ、県庁が燃え出した | 当時16歳 |
山を越えました。と同時に、そこに居る十人内外の男の方々が皆、 本当に腰を抜かしてしまいました。見渡す限り火の海なんです。 もう、煙で遠い方面は見えません。ただ、真下の三菱、工場、 製鋼所〈なんかも一面火の海なんです。 そして、音が山の上まで聞こえてきます。 その「ゴーッ」という燃えるような音は今でも、忘れることができませんけど。 そこでもう、へたへたっと皆さん座り込みまして、 どうしていいのか為〈すすべを知らないというか、全員座り込んでしまいました。
見ているうちに、県庁が燃え出しました。 そこにいる人たちは全員で、『はっ、県庁が燃えだした。 どうしたんだ、消防隊はどうしたんだ』と言ってるんですが、 消防隊の方だって全滅したのかも分〈かりません。 とにかく、飛び火をしたような格好で、県庁が燃えていました。 我々は山の上から、歯ぎしりをして残念がるんですが、 見る見るうちに燃えて行くわけです。 |
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移動 ▽次 △前【ナレーション】
この時刻を遡〈ることおよそ1時間、
爆心地の東側、山里〈国民学校と長崎医科大学付属病院付近
移動 ▽次 △前証言179 | 8月9日 直後 | 助かったのは、男では私一人 | 当時26歳 |
先ほどまで、一列になりまして、土を手送りしていた女の先生、
あるいは外に出て、足を拭〈いていた男の先生、
一人残らず倒れてうめいていました。
しかもそれが、上半身何も付けない…、付けていないのです。
おそらく爆風〈に剥〈ぎ取られたのか、熱のために焼けてしまったのか、
出ている手足や顔は焼け爛〈れまして、雑巾〈のような皮がぶら下がり、
二目〈と見られないような様子でした。仲間の先生でなければ、
一目見ただけで、私は、気味悪くなって逃げ出しただろうと思うのです。
それから、イチノセという先生がいらっしゃいました。
やはり外にいまして、土を手送りしていたんですが、
その先生が10m以上も吹き飛ばされて、
崖〈に打ち当てられて即死していました。
しばらくしますと、他に行っていました女の若い先生、
教頭先生が学校に帰ってきましたけれども、
一人残らず、背中いっぱい赤く焼け爛〈れた、痛ましい姿をしていました。
そして、みんなもうガタガタ震〈えまして、『寒い寒い』と、
しきりに訴えるんですけども、着せる物は何もございません。
その時に学校に出まして助かったのは、
男では私一人、女の先生が3名でしたけれども…
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平和への願い(上記のコーナートップ)
移動 ▽次 △前証言180 | 8月9日 直後 | 血のような月の色 | 当時58歳 |
こりゃこうしておれんから、まずは外に出なくちゃならんと、
いうので、
診察室〈から廊下の方に出てみたです。
ところが、廊下には、上から建築材料が
沢山〈降ってきて、
とても歩けないほど。隣の部屋を通って出ようと、いうので、
机の上を飛び越えて窓から飛び出して。
外へ出てみたら、いわゆるキノコ雲というか黒い柱が
浦上〈の、
丁度〈今の爆心地の辺にあたって、ズーッと立っておったです。
丁度〈8月の真昼の太陽が、その雲の中から上に見えるんですけど、
真っ赤な太陽のような気がした。
その時私は、どういう何であったか、自分でもああいうこと考えるものかなと
思うもんだけれども、
丁度〈「サロメ」という劇があったですな、
オスカー・ワイルドの書いた劇の中に、
「今夜の月の色は、血のような色に見える」という、
衛士〈がそういう
台詞〈を語るところがある、あの「サロメ」の劇の中の、
その血のような月の色というそれを連想して、…
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移動 ▽次 △前証言181 | 8月9日 直後 | もう見渡す限りペシャンコ | 当時26歳 |
気がついたときには部屋の隅っこに、先生も看護婦も患者も、
ひとかたまりになって吹き付けられていた訳〈ですね。
それで、物が壊れたりなんかした煙で息ができないんですね。
何とか息をしたいと思って、丁度〈3階に居ったですから、
で、屋上が4階ですけども。屋上にまず駆〈け上がろうと思って
廊下の方に出たら、廊下も足の踏み場もないんですね。
でもやっと、倒れた物の間を通って屋上に出たんですよ。
その時に、この外が何となく明るく見えてきて、
そしてもう見渡す限りペシャンコになっている。
最初に外来を…、で、患者を診〈とった時にはですね、
自分だけがやられたんではないかと思ったんですけどね。
屋上に上がって、初めて見渡す限りが跡形ない…、
いうこと見て本当ぞっとしたですね。
そして、玄関のところまでやっと、まあ。
玄関というのは病院の玄関ですね、降りてきたんですが、
もうその玄関の入り口あたりには重傷者が呻〈いている訳〈ですね。
ほとんど、着てる衣類は吹っ飛ばされてる、
あるいは手足は吹っ飛んでいるという状態…
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西森一正名誉教授プロフィール 左記のトップページはこちら→ 長崎の原子爆弾被害に関する科学的データ
血染めの白衣 左記のトップページはこちら→ 長崎の原子爆弾被害に関する科学的データ
移動 ▽次 △前証言182 | 8月9日 前話直後 | 至近弾が近くに…どこも同じ | 当時58歳 |
もう病院の方に向かって、坂道を沢山〈の人が上がって来よる。
その人を見ると身体中焼け爛〈れて、着物はボロボロに焦〈がれてですね。
下の方は、着物が焼けて、切れて落ちてしまっている。
そういう患者が救いを求めて『喉〈がかわく。水が欲しい。
助けてくれ』と言って上がって来よる。
けども、私、そんなもの、何にも材料もないし、
はじめのうちは、幾分〈か診察着〈をさいて、
しばってやった人も1、2はあったと思うけど。
その診察着〈もそういう余裕がないほどであるし。
来た人の話によると、これは『至近弾〈が自分の近くに落ちた』と。
『そこで自分は、大学病院の方に助けを求めて、
治療〈を請〈うためにやって来よる』
ところが来てみたら、どこも同じようなことだ、
ということで驚いた様子でしたね。
移動 ▽次 △前証言183 | 8月9日 30分後位? | 『あなたの顔はお化け』、自分も | 当時37歳 |
天井からコンクリが落ちてくる、どげんしたらよかろうか、そして、 ひょっと見たら、 一間〈ばっか先の方が火の海でございましたもんね。 そして、先生方も誰も、 鞄〈は 提〈げながら立ち往生しとんなさるでしょうが。 それから私も、逃げなきゃ、ここ逃げて行かなくちゃ、できないと思って、 こんなにしとったら死んでしまう、どうしようかと思いましてね。 こっちからは煙が来よる、こっちからは火が来よる。 地獄だろうかと思ってですね、『助けてください』て、 本当『助けてください、助けてください』ておめいたですけどもぉ、 誰一人、死にかかった、転んどる人ばっかりでしょう。 もう、わたしはもう、しかたなかと思ってこう寝とったら、 向こうの方から『何とかして 這〈って来なさい』っておめきなさるとですよ。 本当ですね、何とかして逃げなくちゃ、 そらもう、自分だけなら死んでもよかばってん、 子供や主人がもし生きていたならね、 可哀想〈やからって言うてですね。 『あなたの顔はお化けのごたる』て私に言うて、 自分もお化けのごとなってしとんなさったですもん。 カトリックの人だったから、今度は、自分の宗旨のお祈りでしょうか、 しよんなさった。 そーしてもう、泣いてみたり、笑ろうてみたりして… |
移動 ▽次 △前証言184 | 8月9日 30分後位? | お腹が切れ、サッシが盲貫 | 当時15歳 |
大学病院の裏手の、その小高い丘の上まで逃げまして、 ここまで来ればいいかと思ってひょっと病院の方を見たんです。 その瞬間でした、窓という窓から一斉に火を噴いたんです。 あれは、すぐ火が出るんじゃないんですね。
当時、そうですね、いいおじさんに見えましたから 40か50位の方だったんでしょうか、 お腹が切れちゃってるんです。かなり深く。 両手のひらで腸〈が外へ出てくるのを押さえてんです。 その指の間から腸〈が出てくるんですね〜。 手をこう、交互に上下しながら盛んにそれを押さえて 蹲〈っていた方がありましたねえ。
それとですね、下級生です。商業(学校)の。 1年生かせいぜい2年生ですか、当時学校へ行ってた子は。 窓枠、サッシというのは怖いもんです。 あれが爆風〈でしょうね、飛んで来まして、 腹から背中へ貫通〈…じゃあないです、盲貫〈ですね。 そばを通る私を見かけまして、その子が『取ってくれ』って泣くんですが、 学生さんが『取っちゃだめだ』と言われたんです。 今考えてみると、出血多量を言ったのだと思いますが、 痛がるんですねえ。
痛がって抜いてくれと言うんですが、 『抜いたら死ぬからダメだ』と言われて、 もちろん私たちも逃げて行かなくちゃなりません。 |
移動 △前証言185 | 8月9日 直後 | 本当にこれでこの世の中終わり | 当時26歳 |
そのうち火が出始めたんですよ。 ことに、火の出る場所があっちこっちで。 それで、非常に急いで重傷者を早く助け出そうということに なったんですけど、どんどん燃え始めるまま、 もうちょっと危ないからということで、 諦〈めて山手の方にみな避難〈させた訳〈ですね。 その間、雨がちょっと来ましたですねえ。 重傷者をだいぶん山手の方に担〈ぎ上げた訳〈ですよ。
ずーっともう斜面ですね。病院から穴弘法〈(寺)に、 相当急な斜面ですけども。 そこには、やっとそこまで這〈い上がって来た連中、 あるいは助けながら運んで来た重傷者が呻〈いているわけですよ。 すでにその辺りで事切れている人もおりましたし。
段々火が近くで燃えるものだから、熱くて居れなくて、 ずうっと山の上に上っていった訳〈です。 そこで病院が真っ赤に燃えている、基礎教室も、 もう炎に包まれておったですね。 情〈けなかったちゅうか、本当にこれでこの世の中終わりという気が ちょっとしたですね。 |
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