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証言175 | 8月9日 午後早い時間 | うちの防空壕やけん、出て行かんね | 当時16歳 |
下の方から原爆で怪我した人たちが三々五々〈、
列作って、ずっともう、上って来ているんですね、無数に。
それで、その人たちが上る途中で、
精〈も魂〈も疲れ果て、次々に倒れていくんですね。
道の両脇〈には、バタバタそういう人たちが倒れて、
赤黒く焼け爛〈れて膨〈れ上がった人たちがですね。
目も当てられないような状態でバタバタ転がっているんですね。
で、その人達なんかは、もの凄〈い喉〈の渇〈きがあったのでしょうね、
その道の脇〈の方にどぶ溝〈があったんです。
そのどぶの溝〈の、水の中に顔をつっこむようにして、
ほとんどの人が息絶〈えているんですね。
それで、そんなとを、こう見ながら上って行ったんですけど、
そうするとですね、また飛行機の爆撃〈音が聞こえたんです。
そうすると、その家の人たちが慌〈てて、前に防空壕〈があったんですね。
そこの家の防空壕〈だったんですけど、
そこにみんな家族全部避難〈したんですよ。
しょうがないもんだから、私もその後から付いて、入って行ったんですよ。
ところが、その人たちは先に入って、後から来た自分を見たら、
『あんたどこのもんね、ここはうちの防空壕〈やけん、すぐ出て行かんね』と、
こういう風に言ってですねぇ。
上空には敵機が、こう旋回してるんですね。
その中を『出て行け』と言われるでしょう。
出て行けば、機銃掃射〈でも受けて、たちどころにやられるけんなぁ、
というの恐怖心があったんですけど、
出て行けと言われるもん、しょぅんないですねぇ。
そいでもう、泣く泣くですね、そこを…