ええ、爆心地のとこ行ったんです。
その川っぷちにね、あのう、ちょうどあたしたちと同じぐらいの、
あの、生徒、男の子の生徒が建物の疎開にね、作業に出てたらしくて、
そういう人達がいっぱい固まって死んでました。
え、そういう死んでる中をね、こう、またいでまたいでこう、歩いてね、
あたしたちは来たんですけどね。

肉親らしい人が、やっぱりこう探して歩いてましたけどね、
トタンをこうめくって見たらね、
やっぱり自分の子だったらしいんですよ。
で、その死体にねえ、『ここにいたいた』って言ってね、
それね抱きかかえて泣いてましたけどね。

それでね、あのあたしのうちのね、
焼け跡へいたときにね、あたしが弟をおんぶしてね、
レンガがこう転がってたんですよね。
で、そこへあたしが何の気なしにひゅっと上がったんです。
そしたらそのレンガがね、ぺシャンとくずれちゃったんですよね。
『レンガがくずれるぐらいだからひどい爆弾だね』って
母親が言いましたけどね…

広島の焼け跡(林重男 撮影/広島平和記念資料館 提供) 広島の焼け跡(ハーバード・F・オースチン・Jr 撮影/広島平和記念資料館 提供) 熱でとけた一升瓶(大津至・久保田精一 寄贈/広島平和記念資料館 提供) 

この証言の関連ホームページ
建物疎開 左記のトップページはこちら→ ootuki tuusin
HOME