徒歩で広島を縦断して、そして帰ったわけですが、
えー、その道すがら見るこの惨状さんじょうと言うものは、
まあ地獄図絵と申しますかですね、もう目をおおうものでありました。
焼けただれたあの市電ですか、もう鉄骨だけがかろうじて残ってる中に、
もう身体は焼かれて、女性であるか男性であるか、
見極めもつかないと、もう骨のような、あの、骸骨がいこつのような、
ミイラのようなものがですね、その、えー、
鉄骨のこのスノコのような上にひっかかっているとか、
それから、あのー、陸軍病院の跡などは、鉄の寝台がずらっと並んだ上に、
これまた人間であるかなんであるかという、
その、死骸しがいがですね、そのままになって、誰も手をつける余裕も、
あの、気持ちの余裕もまた何もなかった。

それで、米軍の兵士であることはもうはっきりしているんですが、
これがくさりつながれて、太い針金で、あの、身体を縛られて、
そのまた針金をあの、そばの電柱にがんじがらめに結び付けて、
逃げられないような状態にしてあるんですが、
これはもうあの原爆の下で火傷やけどもなにもしていなかったんですが。

もう、呆然自失ぼうぜんじしつとしてもう気力もなければ生きるものもない
もうほんとにたましいの抜けがらのような人間が、ふらふらと生き残ったものが
かろうじてそのあたりを歩いておりますが、この戦争に対する人間の心が
ここまで鬼畜きちくにまでなるのか、自分たちの同胞を失ったという怒りか、
報復か、もう道行く者がそれを足蹴あしげりにする、
あるものでその米兵をたたきつけるという、
またこれも地獄図絵で、これが人間のすることであるかという
恐ろしさというものをその中の光景で自分は見たわけですが…

陸軍五師団跡の廃墟・俯瞰(現地プレートより) 被爆者の絵・米軍捕虜(加藤譲・武内五郎 作/広島平和記念資料館 提供) 原爆の図「米兵捕虜の死」より (部分)(丸木位里・丸木俊 作/原爆の図 丸木美術館 蔵) 

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