えー、自分の親父おやじの、あの、頭蓋骨ずがいこつをね、手に持ったけどね、
『わあ、これ親父おやじの骨だな』っていうようなね、まあそれだけですよ。
であの、悲しいって言うのはね、
要するにその、随分ずいぶん日にちが経って初めてね、
悲しい、泣きたくなるっていう、
そういうもんであってね、その瞬間というのはね、
そういうもんは一つも感じないですよ。

で自分の親父おやじ、その頭蓋骨ずがいこつ随分ずいぶん大きかったけどね、
うん、弟のほうは、頭蓋骨ずがいこつなんて特に大きかったですよ。
これが要するに泣きさけんで火に焼かれていった時の瞬間ていうのは
どんなに熱かったろうなっていうそういう気持ちって言うのはね、
ほんと後になって感じるものですよ。

だからその骨を掘り出したときの瞬間というのは、
ただ焼け跡の熱い土をね、赤土あかつちみたいになって、ほいで、
まあ、水道の蛇口じゃぐちがピューって水が吹き出てね、
ほいでもう足が、もう靴はいててもほんとにこう地熱でねもう熱くてね、
足を片足を上げながら土を掘っていってね、
ほいで、ごろっと白いヤツが出てくる、ごろっと白いヤツが出てくる。
今度はお袋が言ったような間取まどりのところへ出てくる。それだけですよね。
感情は、そういうゆとりって言うのはないわけですよ。もう。
人間ってのはゆとりとかそういうもんがあって
初めて感情が動くもんであってね。

ああいうもう、ほんとに回り中が一遍いっぺんに破壊されて何にもなくなって、
ほいで死体を山ほど見て、死んでいくやつを山ほど見て、
もうね慣れちゃうって言うんですか、
死体を踏んづけたってなんともないんですから。



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