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証言077 | 8月6日 午後…夕刻 | 厳しいですなぁ。医者としては | 当時35歳 |
原爆いうのは後に分かったことですからね。
放射能使うたいうようなことは、だいぶ後に分〈かったことで。
その当時はとにかく、先ず目に見えた切り傷とか火傷〈を手当てするのが、
まず第一番じゃったですなぁ。
火傷〈、そいからガラスでね、
怪我〈して出血して、どんどんどんどん血が出るようなのを、先ず治すと、
こういうようなのが、外科的なあれ(治療〈)が先ずじゃったですな。
それでもどういうても薬はないし、まぁ惨憺〈たる状態でしたね。ええ。
その患者たるや、刻々と死んでいくんでしょう。
厳〈しいですなぁ。医者としては厳〈しいですね。
その治療〈しようにも材料が無いと、こういうことで厳〈しいですなぁ。
廊下のへりで、こっちへ、白島〈の方へ逃げてきた兵隊じゃったですが、
『お母さん』言うていたですな。それから間もなく死んでいったですわ。
若い人じゃったですがのう。