またその連れてく道に、もう、ずーっと倒れてね。
その倒れとる人がね
『水ちょうだ〜い、水ちょうだい、水ちょうだい』て言うて、
皆死に物狂いでおらびさけび)よってんですよ。
連れてったら、またそこが焼けただれた人ばっかり。
私は気分が悪うなってね。

私が行きましたらの、こうぶら下がってね、
目が飛び出て、目ぇ見えんのです。
それでも私が来た気配はかるらしいね。
私に『おばさん、早よう医者の所に連れてってくださいや』言うてんですよ。
連れてってください言うても握るところもありゃしませんのよ。
私は恐ろしゅうて恐ろしゅうてね。
連れてってあげたいうても、赤チン塗ったぐらいのことでしたよ。
何にもありゃせんのですけん。

被爆者の絵・県病院(元共済病院)中庭の情景、中央に座っているのが本人(西沖清子 作/広島平和記念資料館 提供) 原爆の図「救出」より (部分)(丸木位里・丸木俊 作/原爆の図 丸木美術館 蔵) 

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