私たちの隊で、兵隊と将校しょうこうで編成を組んで、タンカや何かを持って、
御幸橋みゆきばしのたもとへきまして、そこを拠点として方々へ散らばって、
重傷者は運び出したわけなんですけどね。
とにかくどこから手つけていいかわからないぐらいの人たちが
『助けて』『助けて』と言うんですよね。
熱いものだから『水をくれ』『水をくれ』と泣きさけんでるわけですよ。

周りはもう火の海で、なかなか中へ熱くて入れないですよね。
まだその奥の方へ入っていきましたら、
女の人たちがたくさん倒れてるわけですよね。
『兵隊さん、助けてくれ、助けてくれ』
『熱いよ』というようなことを言って、
『水くれ』『水くれ』と言うんですけどね。
着物や何かはほとんど着てない状態ですよね。
もう身体全体が焼けてますからね。

一緒に行った兵隊に「持て」って持たせるんですよ。持たせると、
皮膚の焼けた皮がみんなぺったり手にくっついてしまうわけですよね。

御幸橋の惨状(松重美人 撮影/現地プレートより) 昔の御幸橋(現地プレートより) 被爆者の絵・御幸橋西詰の派出所前の血まみれの負傷者たち(南部廣士 作/広島平和記念資料館 提供) 被爆者の絵・暁部隊が被災者の救護活動をするようす。(中川謙 作/広島平和記念資料館 提供) 御幸橋の標識 伊藤明彦 撮影 

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